「未音ちゃん、本当にこれで戦争なくなるの?」

「大丈夫。今日さえ終われば、綺羅国と深沙は仲良くなれるよ、絶対!」


不安そうに身を寄せてくる鈴音に微笑んで、集まってくれた人々を見回す。

計画のために集めたものが保管されている物置には、不安そうな顔が目立つ。
主に城下から集まってきてくれた人は子供から大人までさまざまな年齢に分かれているが、大人も視点が一点に定まらない。


きょろきょろと不安そうに視線を周囲に投げてから、誰かと目が合うと気まずげにそらす。
ましてや子供たちは不安そうな表情を隠そうともしない。



「昴たちはもう出かけちゃったから、私たちも急がなきゃね。みんな、飴はちゃんと持った?」


無理やりにも明るい表情を作って、周囲の人々に呼びかける。
それに応えた人々が取り出したのは小さな布の袋。その中には黄金色に光る飴が入っている。



蓮眠の蜜から作られた飴が。



「風向きには十分注意して。深沙だけじゃなくて綺羅国の兵士たちにも蓮眠の香りが届くようにね」


綺羅国にしか咲かない花、蓮眠。
その香りは全てのものを深い眠りへといざなう。
これを使えば深沙の兵からも綺羅の兵からも、傷をつけずに行動力を奪うことができる。

そうすれば深沙の軍の一番奥にいる蒲英を、こちらにつれてくることも十分に可能だ。


「なんで綺羅国の兵士も眠らせてしまうんですか?」


息子らしい男の子の手を引いた女性が不思議そうに問いかける。


「戦争には今回の戦争の本当の目的を知らない各地の兵士たちも来るから。彼らを起こしたまま深沙の兵だけ眠らせたら、みんなで深沙の兵を袋叩きにするかもしれないでしょ?
そうなったら、今度は本当の戦争が起こっちゃう」



これは今朝、詠軌が忠告してくれたことだ。
最初未音は深沙の兵だけを眠らせればいいと、単純に考えていた。
だが、詠軌の言うとおり敵だとわかっている人が目の前で無防備に眠ってしまえば、人は危害を加えずにはいられないだろう。
ましてやそれが武器を持った兵士であればなおさら。



もし深沙の兵が綺羅国の兵によって命を奪われるということが起これば、綺羅国と深沙の間に本当の戦争が起こる。
神々が戦争を起こすのではなく、昴と蒲英が戦争を避けきることができなくなってしまうのだ。



「だから風向きには十分に注意して。まあ、蓮眠の香りは強いからたぶん大丈夫だとは思うけど。みんなが眠ったら、後は計画通りにね」
「うん!」


大人や子供をすべて代表して鈴音が高々と手を上げる。
その手が震えていないはずがないのに、精一杯に微笑もうとする少女がいとおしく感じられた。



未音だってもちろん怖い。
戦争というテレビや教科書の中でしか聞いたことのないものが、すぐ間近まで迫っているのだ。
怖くないはずがないし、できるのなら逃げ出してしまいたい。



だが、ここにいる鈴音や町の人々、深沙にいるはずの葵や沙羅。
そして誰よりも、国のために仮面を無理やりかぶり続けてきた蒲英と昴のために。
今ここで未音が逃げ出すわけにはいかない。



もしかしたら自分は、このときのためにこの世界へと召喚されたのかもしれないのだから。



「さ、行こう。神話から自由になるために!」


見据えるのは国境の方角。
戦争が始まるのは正午だと聞かされている。





太陽が徐々に天頂へと昇っていく。
兵士たちの緊張感は否応にも高まり、ぴんと張り詰めた静寂が国境周辺を包み込んでいる。

兵士たちとは若干違う種類の緊張を感じながら、昴は傍らにいる詠軌に向けて小さくつぶやいた。


「蓮眠を使うのか」
「はい。そのために未音はこの七日間はずっと町に出て蓮眠の採取と飴の製作を」


綺羅国の象徴である不可思議な力を持つ花。
未音よりは自分のほうがずっと身近に感じているのにもかかわらず、自分はそんな使い方は考えもしなかった。



「未音はすごいな」
「必死なのでしょう。この国のため、鈴音ちゃんのため、そして・・・」


詠軌の青い瞳が無言でこちらを見据える。
この幼馴染は何か言いたいことがあるときはいつもこうしてくる。
しかも昴が凝視されるのは苦手だとわかってやっているのだからたちが悪い。



「俺と未音は・・・・・・煌と燐じゃない」
「そんなことはわかっています」
「俺たちは常に運命に逆らおうとしてきた。それを今更、煌と燐の伝説どおりになるわけはいかないんだ」


詠軌の瞳が驚きで大きく見開かれる。
苦い思いを胸いっぱいに感じながら昴は、詠軌の瞳に映った自分の姿を見つめていた。



あの夜、唇を重ねたときに自分を受け入れながらも拒絶した未音を見て彼女が恐れるものの正体に気がついた。
気がついてしまったのだ。


「あなたは・・・・・・いえ、あなた方はそれでいいのですか?」


答えられるはずが無い。
本能のままに答えようとすると理性が止めようと叫び、理性が答えようとすると本能が悲鳴を上げる。
昴自身にさえ、何が正しい選択なのかわからなくなってしまっているのだ。



ただわかるのは元の世界に戻りたがっている未音と、人間に戻ろうとしている自分が素直に伝説に従うわけにはいかないということ。
たとえそれが気持ちを押し殺すことになろうとも。




自分たちは煌と燐ではないのだから。



「失礼します!」


停滞した空気を打ち破ったのは、緊張を全身にまとった兵士だった。
昴と詠軌が同時に視線を投げると一瞬息を呑んだが、彼は怖気づくことなく第二声を発した。



「正午です」
「・・・わかった」


再度敬礼をして出て行った兵士に軽く頷いて、昴は詠軌へと視線を戻した。


「蓮眠の飴は持ってるな?」
「はい」
「この計画を知っている者は?」
「城内にいた兵士たちと召喚士のみです。彼らにはすでに飴が渡っています」


相変わらずの手回しのよさに小さく微笑んで、昴自身も黄金色の飴を口に含む。
じんわりとした優しい甘さは、今ここにいない少女の姿そのものだ。
神ではない一人の人間としての昴を最初に見つけてくれた、かけがえの無い大切な女性。



「我の・・・最後の仕事だ」


今日を最後に捨てることのできる仮面をつけて、頭上から降り注ぐ太陽の下へと向かう。
そこに広がる戦場の光景に隠れる希望を掬い上げるために。





「正午だな・・・」


ポツリと発した呟きに周りを固める兵士は反応すら返さなかった。
守護神に声をかけるなどという不遜なことを彼らは決してしない。

だが彼らは本当に守っているのが神だと信じているのだろうか。
こちらに向けられた背中に若干の不審を感じるのは自分の願望だろうか。



(まあ、それも今日でわかる)


たった一人の少女に任せてしまったことに若干の不安は残っている。
だが、かりそめの平和はもう限界だった。どこかで歪んだ鏡像を破壊しなければ。


目の前に広がるのはきちんと整列した兵士たちの群れ。
未音がいったいどんな手段を仕掛けてくるのかはわからないが、まともな手段でこの群れを乗り切ることは不可能だ。
きっと蒲英には予想もできないような手段を使うに違いない。



「さて、どっから来るかな」


手品を待つ子供のような気持ちで辺りをぐるりと見回す。
ふわりと甘いにおいが漂ってきたのはそのときだった。
かいだことの無いにおいに蒲英が首をかしげると、ばたりと音を立てて目の前の兵士が崩れ落ちた。



「何だ!?」


気がつけば兵士たちの群れはみな地面に倒れこんでいる。
あわてて駆け寄ろうとしたが、甘いにおいがいっそう強くなったと感じたとたんに蒲英の足からも力が抜けた。
ぐらぐらと周囲の景色が揺れて、意識が暗闇に飲み込まれそうになる。



「・・・眠い・・・・・・のか?」


どうやら手品が始まったようだ。
手品師の姿を探して、朦朧とする頭をむりやり動かした。



「寝ていいよ。昴のところにちゃんと連れて行くから」


いつの間にか近くまで来ていたらしい声に頷こうとして失敗した。
暗転していく意識の片隅で、黒髪の少女の笑顔を見た気がした。



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