それからの七日間はめまぐるしく過ぎていった。


昴から聞かされたらしく翌日の朝一に部屋に飛んできた詠軌に質問攻めにされ、さらわれたときに一緒にいた鈴音は未音にすがって泣き止まなかった。
心配をかけたことは申し訳なく思ったものの、無理やり二人をなだめてから未音はすぐに行動に移った。



漠然とした計画でしかなかったものを実現させるのに七日間は少なすぎる。
だが、おそらくは七日というのは深沙にとってもぎりぎり耐えられるだけの時間に違いない。
蒲英もがんばってくれているのだろうから、未音はその期待にこたえる義務がある。



深沙から正式に宣戦布告があり、昴がそれを受けた。
城下にも戦争が起こることは伝えられ、物資や武器が速やかに城へと集められる。

計画のために鈴音と一緒に町に行った未音は、その閑散とした光景に息を呑まずにはいられなかった。


戦争が本格化すれば、閑散とするだけでは済まない。
城下町は徹底的に破壊されるだろう。



おびえる鈴音をなだめながら、彼女が集めた町の人たちと一緒に作業を進めた。
それは城の片隅の物置の中にまとめて入れられている。
あとは、明日の開戦時に計画どおりに進めば問題は無いはずだ。




全ての準備を終えた未音は、開戦前最後の夜をいつもの中庭で過ごしていた。
肩には詠軌を通じて返されたストール。
昴がずっと持っていてくれたというストールをそっとなでて、元の世界とはどこか違うように見える星空を見上げる。



「いくらストールがあるとはいえ、風邪を引きますよ」


不意に声をかけられたことに驚きはしたが、気遣ってくれる優しさが嬉しくて思わず微笑んだ。
忠告をしたはずなのに笑われた詠軌が呆れたように小さく息を吐いた。



「まったく、もし明日風邪を引いたらどうするつもりですか? 計画を立てたあなたが風邪で寝込んでいては、町の子供たちに笑われますよ」
「ごめんごめん。なんかね、いろいろ考えてたの」
「いろいろ?」
「お城の雰囲気が、ずいぶん変わったなって」


未音が城に戻ってきてまず驚いたことは、城内の雰囲気が一変していたことだった。
それまで人々が自分に向けてきたのは、畏敬の念と一種の拒絶感にも似た視線。
未音と城内の人々たちの間には見えないが、深い溝が確かに存在していたのだ。



だが、おずおずとではあるが人々がそれを踏み越えてきたのだ。


「燐さまではないのなら何とお呼びすればいいですか、って。聞かれたときにはびっくりしちゃった」


まだ畏れは消えていないが、神に対する態度ではなくなっていた。
いったいいつ、人々は神が人間であることを理解してくれたのだろう。
未音がいない間に、この城で何が起きていたのだろう。



「昴が仮面をはずしたんですよ」
「・・・昴が?」


昴の名前を聞いて一瞬不自然に間を空けてしまった。
詠軌が気づいたかと思ってそっと表情を伺うが、彼の瞳の色は深すぎて何を考えているのかがいまいち読むことができない。



「昴は仮面をはずし、彼が不在の間に私が城内に事情を説明しました。でも、結局昴自身が人々を納得させたようなものです」


柔らかく微笑む詠軌はどこか誇らしげだ。
詠軌の言葉の意味がつかみきれずに、未音はじっと彼の言葉を待った。



「私たちが思っていた以上に、みんなは昴についてきていたということです。特に昴の政務を見ていたものは、昴が神であろうが人であろうが綺羅国を守ってきてくれていたことには変わりが無いといって・・・」
「そっか」


鏡が無いので見ることはできないが、きっと今の自分も詠軌と同じ表情をしているのだろうと思った。
人々が信じてくれていたのは神話に語られる神ではなく、実際にこの国を治めている神だったのだ。
たとえその神が人であったとしても、彼が綺羅国を守るために奔走していたという事実には変わりない。



闇雲に神話を信じていたように見えた人々は、未音たちが思っていたよりも現実を見ていてくれたのだ。


「私、わざわざ町に行く必要なんて無かったのね」


町に希望を探しにいくといって出かけた割に、未音が引き寄せたのは戦争という災い。
蒲英と知り合って深沙の事情を知ることができたのは大きな収穫だったが、未音がさらわれることが無ければきっと今もかりそめの平和を維持し続けることができたのだ。
プラスマイナスしたらゼロになってしまうに違いない。



「それは違います」


自嘲気味に微笑んだ未音に、詠軌がきっぱりとした否定の言葉を口にした。
驚いた未音が詠軌を見返すと、詠軌は真剣な顔で言葉を続ける。



「町の人たちが神ではない昴を素直に受け入れてくれたのは、あなたが町に行ったからです。あなたが町に行っていなかったら、今頃暴動が起きていたかもしれません」
「暴動・・・・・・って大げさじゃない?」
「いえ、まったく」



何のためらいも無く言い切ってから、不意に詠軌の瞳の色が変わる。
深い色の瞳でじっと見つめられると、どうにも居心地が悪い。


昴の金色の瞳が太陽のようだとしたら、詠軌の青い瞳は全てを映し出す水鏡だ。


揺らぐことも曲がることもせずに、真実をそのまま映し出そうとする。

居心地の悪さに身じろぎをして、視線を宙へと逃がした。


「未音、昴と何があったんですか?」
「えっ?」
「いくら二人とも忙しいとはいえ、この七日間二人が一緒にいるところを見た記憶がありませんが・・・」



そうだっけ、と軽くとぼけてみたが詠軌からは冷たい視線を返される。
詠軌が言うように昴も未音もこの七日間誰よりも忙しく動き回っていた。
未音は蒲英だけを連れ出すための計画を立て、それに絶対必要なものを集めるために毎日城下へ出かけていった。
対する昴は深沙との関係を神話に頼らないものにするために必要な準備をするために、執務室にこもることが多いと聞いている。



この生活の中で、自然と二人は顔を合わせることすらなくなっていた。
顔を合わせれば気まずい雰囲気が流れるに違いないとわかっていたから、この状況には感謝している。
だが、確かにさらわれる以前の二人の生活を考えれば、まったく顔を合わせないというのは不自然に過ぎるのかもしれない。


「別に・・・何も」
「ないとは言わせませんよ」


言おうとした言葉を先取りされて、未音の視線が再び空へと向けられる。
事情を話すためには綺羅国に戻ってきた夜のことを話さなければならないが、あのときのことは誰にも話してはいけないような気がした。

沈黙を守る未音の耳に、小さな呟きが届いた。


「昴はあなたのために煌の仮面を捨てました。深沙との関係が危うい今、神の仮面をはずすことは民に余計な混乱をもたらすことになるとわかっていてもです」


詠軌が言葉を重ねても口をつぐんだまま、現実から逃げようとしている自分を感じていた。
この世界に召喚されて以来、可能な限り逃げることを避けてきた未音だったが、今の詠軌の言葉に向き合う勇気がもてない。






正確に言うと、昴と自分の間に存在し始めている感情を認めるだけの勇気が無かった。





「あなたがさらわれたと聞いたときの昴は、冷静な神の仮面をかぶり続けることができなかったんですよ」
「心配・・・・・・かけちゃったから」
「確かにそうですが、それだけではありません」


詠軌の青い瞳が強さをはらんできらりと光る。
聞いてはいけないと叫ぶ理性と、続きを聞きたがる心。
理性は愚かな心を叱咤し、心は堅物な理性を罵倒する。


その狭間に立たされた未音が取ることのできる行動といえば、詠軌から身を翻すことだけ。

逃げることだけだった。


「未音!」
「聞きたくない!」


ストールを手のひらが痛くなるほどの力で握り締め、中庭から城内へとつながる廊下へと走り出す。
たとえ背中を向けていても詠軌の表情が手に取るようにわかって、余計に耐えられなくなって足を速めた。



それでも、未音の耳には届いてしまったのだ。



「昴にとってあなたは、誰よりも大切な人なんですよ・・・」



こらえきれずにこぼれた涙は驚いたせい。
決して嬉しかったせいではないと、無駄だとわかっていながらも繰り返し心の中で呟いた。




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プチ・あとがき





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