昴が町外れに待たせていた馬に乗ってどれだけ駆けたのだろう。


生まれて初めて乗馬を経験した未音にとって、楽しかったのは最初だけ。
体にじかに伝わる振動と、容赦なく吹き付けてくる風。
時間の感覚すらなくなった未音は、ようやく綺羅国の見慣れた城にたどり着いたとき喜びのあまり歓声を上げた。



「やっと着いたー」
「未音の世界には馬はいないのか?」


驚きで目を丸くする門番に手綱を預ける昴には、疲れた気配はまったく無い。
ただ乗っていただけの未音とは違い、手綱を操っていた分疲れがたまっているはずなのにも関わらずだ。



「馬はいるけど、本格的な乗馬をやったことがある人はあんまりいないかな」


少なくとも未音の友達に乗馬をやる人はいない。
乗馬の大会はあるのだから、それなりに競技人口はいるはずだが、やはりサッカーや野球には負けるだろう。
ましてや、このような遠乗りとなると経験者はもっと減るはずだ。



「移動は電車とかバスとか自転車だけど、チャリはあんなにスピード出せないし」
「ちゃり?」
「あー、今度説明する。とりあえず休みたい・・・」


ふらふらとおぼつかない足取りで昴に支えられながら何とか歩いているという状況では、元の世界の説明をすることなど拷問に等しい。
とにかく一晩休んでからではないと、まともな説明ができる気がしない。



城内に与えられた自室の扉の前にたどり着くと、未音の中でふっと力が抜けた。
ギリギリの状態で体を支えていた膝が完全に折れる。

かくりと糸の切れた操り人形のように座り込もうとした未音を、寸前で昴の手が支えてくれた。


「未音!?」
「なんかもう限界かも・・・」


疲れと眠気が全身を襲ってきて頭がくらくらする。
もう自分が何を口走っているのかすらもよくわからない。
自分を支えたままの昴が呆れたようにため息をつくのがわかった。



「ごめんね、昴。迷惑ばっかかけて」
「未音・・・」


名前を呼ぶと共にため息をもう一つ。
呆れられても仕方の無いことをしたのはよくわかっていたから、ため息でも叱責でも甘んじて受けるつもりだ。



ただし、明日になったら。
今はどんなに怒鳴られても眠り込む自信がある。


カチャリ、とドアの開けられる音がする。
自分を支えた状態で、昴が扉を開けてくれたらしい。
ベッドは部屋の手前のほうにあるので、あと少し歩けばいいだけだ。



「あとは自分で・・・・・・えっ!?」


ふわりと体を持ち上げられて全身を浮遊感が包む。
あれほど重くて仕方がないと感じていた体は、昴によって軽々と抱き上げられていた。


いわゆるお姫様抱っこというやつだ。


一度もあこがれたことが無いというと嘘になるが、実際にされてみると恥ずかしいことこの上ない。
顔の温度が一気に上がり、苦し紛れにそっぽを向いた。



「心配・・・したんだ」


呟かれた言葉に全身が締め付けられるように苦しくなった。
昴の言葉は怒りよりも哀しみを示していて、それが余計に未音を苦しめた。
いっそ怒ってくれればやり過ごすこともできるのに、こんな声を出されては未音のほうも泣きたくなってしまう。



「未音が深沙にさらわれたと知ってから、心配で死にそうになった」


そっとベッドの上に横たえられて、おずおずと金色の瞳を見上げる。
昴になってからの彼がこんな表情をしているのを初めて見た。
自分を無理やり押し殺しているようにも見える昴の表情は、むしろ煌の仮面をかぶっているときの彼のものだ。



「本当にごめん。これで深沙との戦争も本当に始まっちゃうし、一応は女神のくせに昴に迷惑かけてばっかりだよね」


ぎしぎしと節々が痛む半身をゆっくりと起こす。
不意に昴の周りに金色の光が浮かんだ。
夢の世界のようなふわふわとした光球ではなく、もっと強い光。



「俺は未音を心配したんだ! 未音が女神だからじゃない、未音のことが心配だったんだ!」


怒鳴りつけるような強い言い方なのにもかかわらず、未音には昴がまるで泣き叫んでいるように見えた。
思わず彼の頬に手を伸ばす。
指がそっと触れたか触れないかのうちに、視界が金で覆いつくされた。



抱きしめられたのだと理解するまでにしばらくかかった。
視界に流れる金髪とふわふわとあたりを漂う光球が、自分が昴の腕の中にすっぽりと納まっていることを示している。



「昴・・・?」



服越しに伝わってくる昴の両腕は本当に優しくて、いっそこのまま眠ってしまえたら幸せかもしれないとぼんやりと思う。
蒲英も葵も第一印象は悪かったものの、とてもいい人たちだった。
沙羅と凪とも、もっといろいろなことを話してみたかった。



だが、やはり昴の元にいるときが自分にとっては一番居心地がいい。
綺羅国にいるときではなく昴の元にいるときがいい。
その二つはほとんど同じように見えて実は明確な違いがある。



(でも・・・)


違いを理解していても、その先にある感情を口に出してしまうのは怖い。
その感情を口に出すことは、今まで散々否定してきた女神の運命に従うことになってしまうから。


自分は燐の運命どおりには生きない。
たとえそれが自分の想いを押し殺すことになろうとも、素直に運命に従ってしまうのが怖かった。



運命に従ってしまったら、二度と元の世界に戻れないような気がするから。



「未音、俺は・・・・・・!」


自分を覗き込んでくる金色の瞳が、今までに見たことの無い光を宿していた。
何かを抑えているような、全てをさらけ出しているような。



反射的に瞳を閉じた未音の唇に、柔らかいものが触れた。


唇を通じて昴の熱が伝わってきて、未音の頬が見る間に赤く染まる。
とっさに腰を引いて逃げようとしたが、痛む体は思い通りに動いてくれない。
せめてもの抵抗に昴の体を押してみたが、もともと力の差がある上に今の未音の状態ではかなうはずもなかった。



理性が警鐘を鳴らす。
受け入れたのは拒むことができなかったからだと、だんだんと失われていく思考力で自分に言い聞かせる。






たとえ心が喜びに震えていたとしても、自分は昴を拒まなくてはならないのだ。





永遠にも思える時間が過ぎてから立ち上がった昴は、未音の潤んだ瞳の中にその意思を読み取ったように見えた。
哀しげにため息をひとつついてから、逃げるように背を向ける。



「俺は未音のことは手伝えないけど、もし必要なものがあったらすぐに言ってくれ。七日後に開戦する以上・・・・・・未音が頼りだ」


祈るように呟いて、昴が部屋を出て行く。
一人で取り残された部屋は妙に静かに感じて、静寂に耐え切れずにベッドに倒れこむ。




いまだにぬくもりが残る唇をそっとなでてから、すべてから逃げるように眠りに落ちていった。




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