「未音・・・」


裂けてしまうのではないかと思うほどに大きく見開かれた葵の瞳から、涙が一粒こぼれた。
きらきらと輝く涙が余計に未音の罪悪感を増していく。
葵を見ていることに耐えられなくなって、逃げるように昴の後ろに隠れた。



「蒲英・・・だったか?」
「よく覚えててくれました。で、何?」
「お前は戦争を望んでいるのか?」


昴の周囲の張り詰めた空気は消えていない。
それどころか、徐々に増していっているような気さえする。



だが、蒲英に対する敵対心はずいぶんと薄れたような気がするのは自分の単なる願望なのだろうか。


「俺は望んでいない」
「じゃあ、綺羅国と深沙が争う必要は無いだろう?」


ここまできて、未音はようやく自分の観察が正しかったことを知った。
この短時間かつ予想外の会見の中で、昴は蒲英が自分と同じような立場にいることに気づいたに違いない。
深沙の神である蒲英。彼が何を望んでいるかで、両国の関係は思わぬ方向に転ぶ可能性もある。



すなわち、平和という昴がずっと望み続けていた方向へ。
それを確かめるための質問なのだから、昴の周りの空気が張り詰めるのも当然だ。


「残念だが、俺には煌ほどの権力は与えられていないんだよ」
「それは・・・」
「つまり、神は神話に付随する存在でしかないってことだ。この国の最高神は、神話だ」


まるでできの悪い言葉遊びのようだ。


神話は神について語った話であり、その中にある神を引き立てるための物語だ。
最高神が神話というのは、まともに考えればありえない。



だが、と未音の中でささやくものがある。


月の神は深沙の最高神だが、蒲英自身には戦争を止めるだけの権力は無いといっていた。
昴も最初は神であることを否定したが、結局は煌として――――神として生きることを受け入れざるを得なかった。

どちらにも共通しているのは、神話にあることは絶対の真実だと信じて疑わない姿勢。



神話を崇め奉る狂信者の姿だった。




「よく似ているな、綺羅国と深沙は」


溜息交じりの昴の言葉に、蒲英は小さく頷きを返す。
二つの国は本当によく似ている。
神を崇めるという行為が、いつの間にか神話を盲目的に信じることに変わってしまったことも。
それによって二人の青年に茨の道を歩かせていることも。



「さてと、そろそろ戻ったほうがいいんじゃないのか? このあたりにも見回りの兵士は来るぞ」
「そうだよ! っていうか、蒲英も戻らないとじゃないの?」


ずいぶんと時間がたったように感じたが、頭上の太陽はさほど動いていない。
だが、昴の立場上ここで見つかったら非常にまずいことになる。



未音が促すまでも無く昴は最悪の状況を想像したらしく、蒲英に名残惜しそうな視線を投げてから身を翻した。
いまだにしっかりと手をつながれたままの未音も、蒲英に背を向けざるを得なくなる。



何かがおかしいと叫ぶ心をなだめながら、昴に合わせて歩くことしばし。


「未音!」


よく響く声に引かれるようにして未音は振り返った。
隣にあるのと同じ金色の瞳が、ゆるぎない強さを秘めてこちらを見つめてくる。



「戦場ならって言ったな?」
「え?」
「俺と昴を出会わす方法を考えてたとき、いっそ戦場ならって言ったよな?」


確かに、それは未音が口にした言葉だ。
未音が漠然とつかんだ方法は、今のようにかりそめとはいえ平和が保たれた場所では効果を発揮することができない。
必要になるのは、たくさんの人が一箇所に集まること。
そして、適度な混乱。



「言った・・・けど?」
「じゃあ、七日だ」


何が、じゃあ、なのかがわからない。
困惑をあらわに蒲英を見つめる未音の横で、昴が小さく息を呑んだ。



「まさか・・・」
「これより七日後に、深沙は綺羅国に宣戦布告する」


厳かに発せられた声は蒲英のものではないようで、発せられた言葉はまして彼のものではなかった。


「蒲英!?」
「大丈夫だ、葵」


恋人の言葉にも蒲英が揺らぐ気配は無い。
あれだけ戦争への恐怖を示していた葵の言葉にも動じないほど、彼の中で何かが定まったのだ。



「七日もあれば準備できるだろ? 頼むぞ、未音」


未音が答えるより早く、蒲英は葵を伴って未音たちに背を向けた。







「とにかく、綺羅国に戻ろう。話はそれからだ」


呆然とした未音を昴の冷静な声が促す。
確かに、ここにこれ以上留まるのは危険だ。
蒲英の言葉のせいで回転を止めた頭でもそれはわかったので、手を引かれるがままに歩き出す。



昴は迷いの無い足取りで町を抜けていく。
思えば未音が深沙の町を歩くのはこれが初めてだ。

立ち並ぶ店に、にぎやかに笑いさざめく人々。
どこかで見た光景に似ていると思って記憶を探ると、ここにそっくりな光景を自分は確かに見たことがある。



「本当にそっくり」
「綺羅国と深沙だろ?」
「うん」


綺羅国の鏡像のような国。
同じことを昴も感じていたことがなんだかとても嬉しかった。


少なくとも、昴と蒲英は歩み寄ることができる。

そのことを再確認することができたから。




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