「降りてこいよ、煌。女神を取り戻しに来たんだろ?」

「女神を取り戻しに来たわけじゃない」


ふわりと金色の光が漂ったかと思うと、まばゆいばかりの光が木々の間から降りてきた。
蒲英から3歩ほど離れた場所に立った彼は、わずかに不機嫌そうな表情を浮かべている。



「俺は未音を迎えにきたんだ。女神なんかを探しにきたわけじゃない」


光を閉じ込めたような金髪に、強い光を浮かべた金の瞳。
深沙につれてこられて以来、ずっとこの光をもう一度見たいと願っていた。



「昴!」
「迎えに来た」


伸ばされた手を取るのにひどく勇気が必要だった。
目の前に立つ彼が現実の存在だと信じることがなかなかできなくて、触れたら消えてしまいそうな気がする。

手を取りたいのに動けない。
全身を硬直させ目を見開く未音に、昴は少しいらだったようだった。


「未音」


ふわふわと昴の周りに浮かぶ金色の光が、余計に未音から現実感を失わせる。


不意に、もう夢でもいいかと思った。
ずっと会いたいと思っていた昴が目の前にいるのだから、たとえ夢だとしても手を取らないと損だ。



おずおずと手を伸ばす。
触れた指先がぬくもりを伝えてきたかと思うと、強い力で手のひらごと握りこまれた。



「本当に昴?」
「他に誰がいるんだ」
「夢だと思ったんだろ? 未音」


状況についてきていない未音や葵とは違って、蒲英は完全にこの状況を楽しんでいた。
自分をにらみつけてくる昴など物ともせずに、楽しげな笑みを崩さない。



「自分の感情には鈍感なんだな、未音。苦労するな、昴・・・だっけか?」


名前を呼ばれた昴が軽く目を見張る。


綺羅国でも彼のことを名前で呼ぶのは未音と詠軌だけなのだ。
まさか、隣国に来て自分の名前を呼ばれるとは思わなかったのだろう。
しっかりとつながれた手のひらからも、昴の動揺が痛いほど伝わってきた。



「なんで俺の名前・・・」
「未音が散々言ってたからな。煌じゃなくて昴だって」


蒲英の隣では葵も同意を示して頷いている。
確かに、それは未音が何度も口にした台詞だ。



だが、本人である昴の前で言われると妙に気恥ずかしい。


昴の反応が気になってそっと視線を動かすと、彼は表情一つ変えなかった。
まっすぐに蒲英を見つめたまま、どこか張り詰めた空気が緩む気配は無い。



「俺は未音をつれて帰る。文句は無いよな?」


昴の周りに漂う張り詰めた空気の正体が、やっとわかったような気がした。
彼は怒っているのだ。


純粋で他の感情が混ざる余地の無い怒りは、初めて出会ったときに未音が向けられたものと同じものだ。
未音は恐怖で身をすくめることしかできなかったが、蒲英はそれを向けられてなお笑いを絶やさない。
かえって蒲英の隣にいる葵のほうが顔色を変えている。



「ご自由にどうぞ」
「次にまた未音をさらったら、今度は本当に容赦しない」
「もうさらわないさ。多分・・・そんな時間は無い」


浮かべていた笑みを消し、目を伏せた蒲英に葵が小さく息を呑んだ。
こげ茶色の瞳には驚愕と疑問、そして紛れも無い恐怖が浮かんでいた。



「まさか、蒲英・・・!」
「未音・・・つまり、星をさらってきたことは大臣たちも承知済みだ。その星が奪い返されたとなれば、あいつらは間違いなく綺羅国を攻める」


何も知らない人が聞けば薄情だと思いかねない言葉だ。
しかし今の未音は、蒲英が戦争を避けるため――――大切な人を守るために、あえて神の仮面をかぶったことを知っている。


淡々と語られる言葉の裏に、彼の無念さがにじみ出ているような気がした。


「そんな! 蒲英、何とかならないの!」


恋人の懇願にも蒲英は金色の瞳にわずかに悲しげな色を浮かべるだけ。
それを見た葵は、すがるような視線を未音と昴のほうに向けてきた。



「未音・・・・・・もう少しこの国にいてもらえない!?」
「え?」
「戦争が起こるのは困るの! だけど、もうみんなギリギリのところにきてるから一度火がついたら止まらない! だから・・・」


さらに言い募ろうとした葵の腰を引き寄せて、蒲英が彼女を腕の中に閉じ込める。
いつの間にかうっすらと瞳に浮かんだをぬぐって、葵は恋人のぬくもりに身を任せた。



「葵、もしお前が綺羅国にさらわれたらどうする? 帰りたいとは思わないのか?」
「それは・・・」
「なら、わかるよな?」


蒲英に抱きしめられた葵が小さく頷く。
葵の必死さを見て、改めて戦争というものを思い知らずにはいられなかった。
この葵の叫びは彼女一人のものではない。



深沙と綺羅国に住む人々の叫びそのものだ。


自分がここに留まることで戦争を少しでも回避できるのならと思った。
自分がここに留まりさえすれば、もうしばらくはかりそめの平和を維持することができるのだ。

そのためには痛いほどの力で握られた手を振り払うべきなのかもしれない。





だが――――





「ごめんね、葵」


これから自分が言おうとしている言葉が個人的なわがままだということがわかっていたから、未音の声も自然と小さくなる。


「私は・・・昴と一緒にいたいの」


戦争のこと、国同士の関係のこと。それら全てがどうでもよくなってしまうほどに、彼に会えたことが嬉しくて仕方が無い。
やっと触れることができたのに、また離れ離れになることになど耐えられない。



理性も分別も何の力も発揮せず、ただ心の奥底にある強い想いが彼を求めてやまなかった。




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