「ま・・・間に合った」
「人間がんばればどうにでもなるものよ?」


カウンターの奥でにっこりと笑った沙羅に、葵は引きつり気味の笑顔を返した。
店の掃除や食材の買出しなどでこき使われた凪が奥で完全に伸びているのは見ないふりをするべきだろう。



カランという澄んだ音に反射的に顔をあげ、店の入り口へと笑顔を向ける。
もちろん今度は引きつった笑みではなく、体に染み付いた営業用の満面の笑みだ。



「いらっしゃいませ! お一人ですか?」


入ってきたのは風除け用らしい帽子を目深にかぶった見かけない人物だった。
町の中央という場所柄、葵たちの店には旅人が立ち寄ることも多い。
彼もそんな旅人の一人なのだろう。



「食事ができると聞いたんだが?」
「はい! じゃあ、こちらへどうぞー」


奥まったカウンター席へと案内して注文をとると、彼は若干戸惑いながらもいくつかの料理を注文した。
取り合わせも組み立ても何も考えていないらしい注文の仕方を見る限り、彼はかなり遠くからの旅人のようだ。
どこから来たのかと尋ねたかったが、あまり無駄話をすると沙羅に怒られる。
好奇心はぐっと抑えて、注文を聞いただけで沙羅のいる側へと回った。



「よくこらえたわね」
「あ、わかった?」


照れ隠しに小さく笑う。
昔から、沙羅は何でもお見通しだ。蒲英を好きになったときも、真っ先に沙羅に指摘された。


何しろ葵が完全に自覚するより先に、沙羅は葵が蒲英に対して持っていた感情を言い当ててしまったのだ。



旅人の注文を伝えてから、不意に葵が話題を変えた。


「明日また会えるかな?」
「蒲英に? 明日は特に会議も何も無い日でしょう、大丈夫じゃない?」
「蒲英もだけど、未音に」


今日始めて会ったのに、葵の中に強い印象を残した少女。
またねとは言ったが、確かに会う約束をしたわけではない。




なぜだかはわからないが、彼女に話したいことがたくさんあるような気がする。



「あなたたちはよく似ているものね」
「似てる? 私と未音が?」
「二人とも神様に恋をしているでしょう?」


突然、ガシャンという派手な音が店中に響いた。
反射的に振り向くと、カウンターの奥に座る旅人が床に落ちたグラスを呆然と見つめていた。



「大丈夫ですか!?」


沙羅との会話など一度に頭から吹き飛んだ。
おしぼりを手にあわてて旅人の元へ駆け寄って、彼の服と机をそっと拭いていく。


幸い彼に怪我は無いようだ。
グラスは割れてしまっているが、硬い木の床に落ちたのだから仕方ないだろう。



「すまない、ぼんやりして・・・」
「長旅でお疲れだったんでしょう? グラスのことは気にしなくて大丈夫ですから」


葵の笑顔に答える旅人はやはりどこか上の空だ。
いったいどんな強行軍の旅をしてきたのだろうと、押さえつけた好奇心が再び頭をもたげてくる。



「あの・・・」
「大丈夫でしたか? 掃除道具、持ってきたわよ」


思い切って質問しようとしたところで、狙い済ましたかのように沙羅が戻ってきた。
手には箒とちりとりを持っている。


二つの道具を器用に使ってグラスのかけらを集めていく沙羅に目配せされて、あわてて葵は声を上げた。



「違う席にご案内しますね」
「すまない。こちらの不手際なのに・・・」
「どうぞお気になさらないでください」


重ねてわびる旅人を安心させるために笑顔を浮かべる。
ようやく彼も少しは落ち着きを取り戻したらしく、かすかな笑みを浮かべてから小さく頭を下げた。



「ありがとう」
「いえ、そんな! え、えっと・・・こちらです」


仕事柄、頭を下げられることにあまり慣れていない葵は逃げるように旅人に背を向ける。





そのときにふと、金色の光が彼の周りにまとわりついていたように見えた。





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プチ・あとがき




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