「神としての仮面を強制された。そうだな?」



蒲英の言葉にこくりと頷く。かろうじて頷くことはできた。
一度首を動かしたことで、止まっていた血液が全身に流れ始めた気がする。
のどの奥で形になることなくよどんでいった言葉が、音を得て未音の口から零れ落ちていく。



「あの国の人たちは昴が神様だって本気で信じてる・・・。だから昴はずっと・・・一人で背負えるはずの無いものを背負おうとしていたの」
「そりゃ・・・ひどいな」
「ああ。国を一人で背負うなんてできるはずが無いのにな・・・」


実際に国を背負う立場にいる蒲英の言い方には、重苦しいまでの実感がこもっていた。
瞳を伏せて表情を隠した彼の両肩を、沙羅と凪がいたわるように軽く叩く。
葵はごく自然な動作で彼をそっと抱きしめた。



優しさと愛情と、昴が与えられなかった全てのものがそれらの動作にはこめられていた。



「まあ、そういうことだ」


今までの雰囲気が、明るい口調で一新される。
一瞬垣間見せた為政者としての顔はどこにも無く、そこにはいつもと同じ飄々とした蒲英がそこにいた。
自分の腕の中にいる葵をそっと抱き寄せ、彼女の髪の手触りを確かめるようにゆっくりと指を滑らせる。
人目をまったく気にしない二人に、沙羅と凪は呆れ顔だ。
顔を見合わせた二人は、はかったように同じタイミングで小さく息を吐いた。
ため息というには慈愛に満ちていて暖かいそれが空気に溶け入ると、二人は同時に口を開いた。



「ひとつだけはっきりさせてくれ」
「これだけは聞かせてくれる?」


沙羅と凪のまっすぐな瞳が蒲英を射抜くように見つめる。
彼らの態度が、今までの友人としてのものから少し変化したように見えた。






「綺羅国との戦争は起きるのかしら?」


「この国のお偉方は、戦争を起こす気か?」





その言葉の中には、逃げもごまかしも一切許さないという強い意志が満ちていた。
絶対的な神の言葉に従う人の言葉ではありえない。
もしも蒲英の言葉が二人の望んだものと異なっていた場合、彼らは畏れることなく自分の意見を述べるだろう。



同じ人間として、彼らは対等な存在なのだから。




綺羅国にもいずれ彼らのような国民が現れるだろうか。
昴の言葉をかしこまって受け取るだけではなく、自分の考えを述べることができるような人が。




「戦争か・・・」
「情報を抑えてはいるつもりでしょうけど、城下の人はみんな知ってるのよ」
「そうそう。戦争が起こるのはいつかって、何人か集まれば確実にその話題だ」


沙羅と凪の言葉で、幼い少女のことを思い出した。
小さな体で必死になって戦争が起こらないように願っていた鈴音。
彼女と同じ境遇に置かれている人が、この国にもいるのだ。



誰もが戦争など起こってほしいはずがない。
戦場に行けば命の保証はなく、町にいてもいつ戦火が襲ってこないとも限らない。
それでも、戦争を起こす人は必ずいるのだ。



未音が学んだ歴史では自国の領土を増やすことが第一の目的になっていた。
だが、綺羅国と深沙の二国の場合領土を増やすことは単なる結果に過ぎない。
双方が本当に守りたいものは、昔から伝えられている神話という名の予言。






ばかげていると思うのは、未音が異なる世界の住人だからだろうか。


そんなことはないと思いたい。





「俺は戦争を望んでいない」


蒲英の言葉に迷いはないが、微妙な歯切れの悪さを感じた。
深沙の最高権力者、月の神である彼が戦争を起こすつもりがないのなら戦争が起きるはずがないのではないか。
少なくとも綺羅国の場合、昴が戦争を起こすと宣言しない限り、勝手に深沙に攻め込むような人物はいないはずだ。



「問題は大臣らってことか・・・」

「あの人たちは本当に神話第一だものね」
「昔からそうだよね。とにかく神話神話・・・、そればっか」


辛辣に吐き捨てた凪に沙羅と葵がうなずきを返す。
怒りと絶望が入り混じった表情をする彼らを見つめる蒲英の顔には、さらに複雑な色が浮かんでいた。



「ちょっと待ってよ」


油断するとすぐに傍観者に徹してしまう未音だったが、状況が把握しきれなくなって思わず声を上げた。


「蒲英が深沙の最高権力者なんじゃないの?」

「深沙と綺羅国は違う。そっちの煌は統治者もかねるらしいが、こっちの神は守護神だな」


綺羅国での昴は王だった。
簡単な事柄の採決は大臣たちだけで済ます場合もあったが、少し重要度が増すとそれらはすべて昴の元へと運ばれた。
神に従えば間違いはないと、あの国の人々は本気で信じていたのだ。



だが、蒲英が語った深沙の事情はそれとは少し異なっていた。


深沙にとって神はすべてを見守る存在なのだ。
蒲英のもとに持ち込まれるのは全て報告であり、大臣たちによって決められた事柄だけだ。
神として祀り上げられながらも、その実態は空気のようなものだ。




信仰の対象ではあるが、統治者ではない。
そこが綺羅国と深沙の大きな違いだ。




「俺はお前らを守るために神になったのにな・・・」


蒲英が小さくつぶやいた言葉は無念さに満ちている。
その言葉を聞いたとき、未音はようやく蒲英がなぜ自分をここに連れてきたのかを理解した。

彼は大切な幼馴染たちのために、進んで神の仮面をかぶったのだ。
彼らを災いから守るために。



それこそが、彼が神になった理由。


だが、その仮面は蒲英が望んだ形とは少し違っていた。
手に入ると思っていた権力は彼の手からすり抜け、彼の意思とは関係なしに神話だけが先行していく。



「さて、そろそろ戻らないとな」


先ほどの苦渋に満ちた声は嘘のように、蒲英が友人たちを見回す。
気がつけば徐々にあたりを夕日が支配し始めていた。



「いけない! 今日の分の食材取りに行かなきゃ!」
「仕込みも全然してないよ!」
「今から掃除して間に合うのか・・・?」


三者三様の叫びに未音は思わず首をかしげた。
そんな未音の様子を見て取った蒲英が、彼らの悲鳴のわけを説明し始める。



「こいつら、三人で料理屋やってるんだよ。町の中央にあって、結構評判もいい」
「普段ならとっくに準備終えてなきゃいけない時間なの! どうしよう!?」


完全にパニックを起こしている葵と、必死に考え込んでいる凪。
様子は対照的だが、二人とも焦りが全身からにじみ出ている。
開店を遅らせることはできないのかと未音が問おうとしたときに、ひどく冷静な声が割って入った。




「間に合わせるわ」


藍色の瞳に決意を浮かべて沙羅がそう言い切った。
静かな声であるだけに彼女の意思がよりいっそう強く伝わってくる。
それを聞いた葵と凪が天を仰いで悲鳴を上げた。



「沙羅? 本気!?」
「いくらなんでも今日は無理だろ!?」


彼らの店が何時に開店なのかはわからないが、この場合は葵と凪が正しいと言うことができるだろう。
こうしている間にも日は着々と沈み、真っ赤な夕日で辺りが紅色に染め上げられていく。
料理の仕込みをして、店内を掃除して。
店の中に客を迎え入れられるようになるまでには、月が夜空を飾るに違いない。



「いいえ、間に合わせます。ほら、二人とも。早く行きましょう」


頭を抱える二人を促して沙羅が身を翻す。
覚悟を決めたような二人と共に歩くこと数歩。
あっけにとられて立ち尽くす未音のほうを、彼女らしい穏やかな笑みを浮かべて見つめてきた。



「今度は綺羅国の話をいろいろ聞かせてちょうだいね?」
「え・・・?」
「約束よ」


にっこりと微笑んでから、沙羅は再び歩き始めた。
軽く手を振ってくれた凪がその後に続く。



一度は彼らの後に続いた葵が、あっ、と声を上げて振り向いた。





「またね、未音」





鮮やかな笑みと共に大きく手を振って、葵も二人の後に続いて姿を消した。






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