「つまり、あなたは綺羅国の女神、燐なのね?」

「私は・・・女神なんかじゃない」


視界に入る沙羅が、一瞬詠軌と重なった。
空のような青い髪と海のような藍色の髪という違いはあるが、彼女の持つ雰囲気は詠軌のそれとよく似ている。




それは、全てを理解している者が持つ雰囲気だった。



「そう・・・。あなたも蒲英と同じなのね」
「ああ、なるほど。そういうことか」


目を丸くして未音に見入っていた凪が納得顔で手を打った。
それに一拍遅れる形で葵が顔を上げる。
今まで瞳に映し出されていた敵意や驚きは消え、代わりに彼女の瞳に浮かんでいたのは安堵の色。



「なんだ、そうだったんだ・・・」
「葵」


ごく静かな声だったのにもかかわらず、葵が背筋をぴんと伸ばす。
その動作の意味がわからずに、未音は直立不動を保つ葵と彼女の正面へと歩む沙羅を見つめた。
身長差も年齢差も、さほど開いているとは思えないのだが、今の二人の姿はまるで親と子供だ。



しかも、親が子供を叱りつける寸前の。




「言わなければならない言葉があるってわかってるわよね?」
「え・・・っと」


静かな声だが、沙羅の口調には容赦というものが一切ない。
気がつけば蒲英と凪は彼女たちから一歩引いた場所へと立ち位置を変えている。
ありていに言えば、沙羅から逃げているのだ。



(ちょっとかわいそう・・・かも)


さっきまでは怒りを向けていた相手に思わず同情した。
沙羅の前でうつむく葵が、しょげた子供のように見えてくる。

だが、間に入ってとりなそうにも沙羅が何に対して怒っているのかがよくわからない。


「あの・・・」


うつむいていた葵が顔を上げたかと思うと、沙羅を通り越して未音に話しかけてきた。
完全な傍観者に戻っていた未音は、とっさに何も反応することができない。
それを拒絶と取ったらしく、葵が不安そうな瞳を沙羅へと向けた。



「葵」


すがるような視線を向けられて、沙羅が発したのは彼女の名前だけ。
さっきまでとあまり変わらないごく静かな声で、ゆっくりと。




だが、その声が持つ響きはまったく違う色合いを持っていた。



(いいなぁ・・・)


内心で未音が思わずうらやんでしまったほどの、ゆったりとした優しさを持つ声。
その声を聞いただけで、葵と沙羅の絆の深さがよくわかる。



親友でいて、それでいて仲の良い姉妹のような。


二人が一緒にすごしてきた時間を、ほんの少し垣間見ることができたような気がした。




「えっと・・・、燐だっけ?」


再び傍観者に徹していた未音を、控えめな葵の声が現実へと引き戻す。


「燐は女神の名前。私の本当の名前は篠宮未音って言うの」
「篠宮未音?」
「未音でいいわよ」


短く言って、次の葵の言葉を待つ。
彼女の雰囲気から、敵意を向けられることはなさそうだと内心で安堵の息をついた。



「未音・・・。その・・・、ごめんなさい!」


そのまま頭がひざについてしまうのではないかと思うほどの勢いで、葵が頭を下げた。
彼女の感情表現がストレートなのはわかったつもりでいたが、さすがにこれには面食らうしかできない。



「え? えっと・・・?」
「さっき葵が失礼なこと言ったでしょ。そのお詫びなのよ」


柔らかな沙羅の声で、先ほどの葵との会話を思い出す。
この国につれてこられてから、未音が初めて感情を爆発させるきっかけになった言葉。

確かにあの時は腹が立った。
だが、感情を爆発させたことで幾分落ち着いたし、ここまで謝られるとかえって困惑してしまう。



「私もその後けっこうひどいこと言ったし・・・。それでおあいこってことにしない?」
「いいの?」
「うん」


微笑みながら手を差し出すと、葵はその手をこわごわと握ってきた。
最初は恐る恐る、そのうちにしっかりと握手を交わす二人を見て沙羅がどこまでも柔らかく笑む。



「じゃあ顔合わせも無事に終わったって事で」
「そうだな。いい加減、自分らも仲間に入れてくれや」


ついさっきまで三人から二歩ほど離れた場所から一部始終を傍観していた蒲英と凪が会話に加わってきた。
葵が一瞬恨めしそうな視線を蒲英に向けたが、彼はそ知らぬ風で未音に向き合った。

いつもと変わらない笑みを浮かべる蒲英の後ろには、これまた笑みを浮かべる凪が立っている。



だが、葵と沙羅が姉妹のような関係に見えるのに対して、二人は悪友そのものに見えた。



「こういうときさ、俺らだと殴り合いで終わるんだよな」
「そうそう。自分らだと絶対にこぶしが出ないと話がまとまらないよな」
「それは凪が譲らないからだろ?」
「蒲英だって自分の意見絶対に曲げないじゃんか」


最初は穏やかだった会話が徐々に妙な方向へと走り始める。
仲良く肩を並べていた二人の間にはいつの間にか険悪な雰囲気が流れ、笑みを浮かべていた瞳が剣呑な光を含んでいく。

未音の隣に移動していた葵の顔色が変わったのがわかった。
軽く舌打ちをして、いまや向き合っている蒲英と凪の間に入ろうとする。



「二人とも・・・」
「いい加減になさい」


静かだが、情け容赦のない響きを持つ沙羅の声だった。
その声を向けられた蒲英と凪はもちろん、葵と未音も反射的に背筋を正した。



四人を一気に震え上がらせた沙羅は、ゆったりと微笑んでいる。
先ほどの声が空耳だったのではないかと思うほどに、ふんわりとした笑みを浮かべて。






だが、このように笑う人が怒ったときが一番怖いのだと未音は知っている。





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