「月は太陽にさらわれた星を取り戻し、やがて昼をも支配するだろう?」
「ああ」
「それが私をさらった理由?」
「そ」
必要最低限の言葉で未音の質問を肯定した男は、どこか楽しげな笑いをその口元に浮かべていた。
人をさらっておいてニヤニヤと笑うのは気に食わないが、あまり逆らわないほうがいいと判断したのであいまいにうなずいた。
彼の名は蒲英(ほえい) というそうだ。
未音よりも頭一つ分高い身長と、くるくるとよく動く瞳を持っている。
柔らかそうな髪は鮮やかな黄色。
昴の金髪とは少し違うが、色の系統はほぼ同じだ。
「昴・・・」
彼は今どうしているのだろう。
未音が深沙にさらわれたことは、もう彼の耳に届いただろうか。
彼の言いつけを破って町に出て、まんまと深沙にさらわれた未音に対して腹を立てていることだろう。
「あやまらなきゃ」
「敵国にさらわれてるってのに、意外とのんきだな。女神様」
蒲英のあきれたような言葉で、未音はようやく我に返った。
無遠慮に自分を見つめてくる金色の瞳――――昴のそれと同じ色の瞳から思わず顔を背ける。
その未音の行動が気に食わなかったらしく、蒲英は未音の頭を両手で固定したかと思うと自分の顔を近づけてきた。
まるでキスをする寸前の恋人同士のような体勢に、未音の両頬が一気に赤く染まる。
「へえ、女神様は何されても動じないのかと思ってた。そうでもないんだな」
「私は女神じゃないもん!」
「知ってる」
蒲英の手が未音の髪を梳く。
手触りを楽しむように何度か髪をもてあそんでから、ようやく離れていった。
そのまま未音が閉じ込められている部屋から出て行く蒲英を、不覚にも何も言わずに見送ることしかできなかった。
未音が閉じ込められているのは深沙の王宮の一室だ。
正確に言うと王宮ではないらしいのだが、深沙の内情に詳しくない未音には正しい呼び名がわからない。
さらわれてきた直後は気絶していたので、どれほどの時間がたったのかもわからない。
時計もないこの部屋では一日の経過すらもよくわからないのだ。
今の未音に時間を教えてくれるのは、一日三回の食事と蒲英の訪問だけだ。
蒲英は未音が昼食を食べ終わってしばらくすると、部屋を訪れる。
最初は囚人の監視役なのかと思っていたが、未音は自分のとんでもない見当違いを思い知らされることになる。
「よう、女神様。昨日ぶり」
髪と瞳の色合いは昴を思い出させるのに、ほかにはまったく似ているところはない。
軽薄な口調と、飄々とした態度。
何よりも人を馬鹿にしたような態度は最悪だと、未音は容赦のない評価を下していた。
「やっぱり来た」
「少しは歓迎してくれてもいいんじゃない? 俺らおともだちじゃん」
おともだち、という響きが自分で面白かったのか、蒲英は声を殺して笑っている。
不意にその笑いが、態度が、全て未音をを欺くために作られた仮面のような気がした。
昴とは正反対の仮面。
だが、彼もまた仮面をかぶっていないと誰が言い切ることができる?
「昨日の・・・どういう意味?」
慎重に言葉を選んで問いかけると、蒲英はようやく笑いを収めた。
今までは避け続けてきた金色の瞳をまっすぐに見据えると、彼は小さく口笛を吹いた。
「さすがに覚えてたか」
「答えて。私が女神じゃないって知ってる、ってどういうこと? どうしてあなたにそんなことが言えるの?」
「同じだからさ」
未音が注意深く言葉を選んだ質問にも関わらず、蒲英の答えは簡潔極まりない。
まるでなんでもないことのようにあっさりと答えを返す。
だが、その内容はあっさりと聞き流すことのできる類のものではなかった。
「同じ・・・って」
綺羅国の書庫で読んだ文章が頭の中によみがえる。
深沙の特徴について、綺羅国と同じくらい大きな国であるという以外にもう一つ。
「かの国は月の神を信仰している・・・?」
「そ、よくできました。あんた意外と賢いんだな」
馬鹿にされているとも取れる言葉に、しかし未音はまったく反応しなかった。
綺羅国において信仰の対象とされるのは光と闇。
それらを象徴する煌と燐という二人の神。
だが、深沙において最も重要視されるのは月の神であるという。
夜の闇を明るく照らす月光を、この国の人たちは何よりも重んじたのだ。
月が持つ柔らかな黄色の明かりを。
「あなたが月の神様なのね。昨日の言い伝え・・・私が星で、昴は太陽?」
「そういうことになるな。だからここは王宮じゃない、神殿だ」
神殿。それはすなわち神の住まう館。
思えば綺羅国は単純に城と呼んでいた。
神によって守られていると信じている二つの国は、どちらも王宮を持たない国なのだ。
王宮とは、王が住む場所なのだから。
「綺羅国と同じだろ。あっちは光の神だっけか?」
うなずきを一つ返すと、蒲英は満足そうに笑った。
囚人の監視役かと思っていた蒲英が実は深沙の最高権力者とわかった今、未音は彼に対して必要以上の情報を与える気はなかった。
何しろ深沙は、綺羅国との戦争を引き起こそうとしている国なのだから。
だが、どうしても彼に聞かなければいけないことがあった。
「あなたが月の神様なら、どうして私のことを女神じゃないって言い切れるの?」
「俺自身、神なんかじゃないからさ」
さも当たり前のことを言うように言って、蒲英は未音の瞳を覗き込んできた。
「俺が神じゃないってことは俺が一番よく知ってる。俺が神じゃないなら、隣国の煌や燐も神じゃないんじゃないかって思ったってわけ。
どうやら当たりみたいだな」
未音の全身から血の気が引いていく。
話を聞けば聞くほど、蒲英は昴とよく似ている。
神としてあがめられているところも、国の最高権力者であることも。
なのになぜ、蒲英はこんなにも自由なのだ。
昴は自分の心が壊れる寸前まで追い詰められたのに、彼はまるで何の制約も受けていないように見える。
自分が月の神に当たるといいながら、平気で神を否定する。
昴はそうやって否定することすら許されなかったにもかかわらず。
「おっ、おい! 何でいきなり泣くんだよ!?」
「だって・・・昴は・・・・・・」
昴とあまりにも似通った境遇の、あまりにも違いすぎる人物を見るのがつらかった。
昴の長い間の苦しみが、悩みが、全て否定されたような気がして。
「昴も・・・あなたと同じなのに・・・! どうしてあなたは・・・人間として生きていられるの!?」
目の前にいる蒲英はとても自由だ。
自分の思うままに振る舞い、神ではなく人間として生きている。
彼には人間としての生が許されているのに、どうして昴には神としての生しか許されなかったのか。
「昴ってのは、煌か?」
未音の涙を見て狼狽していた蒲英が、ポツリとつぶやいた。
すっかり耳になじんだ昴の名を聞いて、未音が反射的に顔を上げる。
それを肯定と見て取ったらしく、蒲英の金色の瞳が複雑にゆがんだ。
「神としての仮面を強制・・・か。俺は自分で選んだ道だけど、強制されたら投げ出したくなるかもな」
「自分で・・・選んだ?」
「そういうこと」
昴が選ばされた――――むしろ、ほかの選択肢を与えられなかった道を蒲英は自分で選んだと言う。
神としての仮面をかぶれば人間としての自分が犠牲になるとわかっていて、なぜその道を選ぶことができたのだろうか。
「どうしてあなたは、神様になることを自分で選べたの?」
神になることで得られる利益。
昴の苦しみを知った未音には利益よりも失うもののほうが多いような気がしてならない。
だが蒲英は、利益のほうが多いと考えたのだ。
だからこそ、神の仮面をつけることを選んだ。
「たぶんあいつらに会ったほうが早いだろうな」
「あいつら?」
独白のような小さな声に未音はすかさず反応した。
まさか未音が反応するとは思っていなかったらしく、蒲英が一瞬表情を崩す。
今まではどこか余裕じみた表情をしていた蒲英だったが、その一瞬に見せた表情は気恥ずかしさと誇らしさが一緒になっていて、まるで照れた子供のようだ。
「明日、またこの時間に迎えに来る。あいつらに会わせてやるよ。どうせあんた暇だろ?」
「誰のせいで毎日暇だと思ってるのよ」
「あんたをさらったこっちのせい、だな」
まったく悪びれずにそう言ってにやりと笑う。
ついさっきまでは馬鹿にされているように感じた笑みだったが、今は不思議と嫌な感じがしなかった。
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