「未音は本来なら平和な世界で暮らしているはずだった。それをこの国の勝手な伝説のせいで、無理やり深沙との戦争に引きずり込んだんだぞ」

「平和な・・・世界?」
「それでは、未音というのは・・・」



沈黙が人々の間に舞い下りる。
見合わせる瞳がたった一人の名前をつむごうとしていた。




この国で煌に寄り添っているはずの女神の名前を。



「燐・・・」
「未音ちゃんは未音ちゃんだもん!」



昴が否定の言葉を発するより一瞬早く、この場で最も幼い少女が甲高い声を張り上げた。
小さな体にそんな大きな声が潜んでいたことにも驚いたが、何よりも昴を驚かせたのはその言葉の内容。
とっさに部屋の片隅へと視線を投げる。
さっきまでは昴の非難を受けてうつむいていた詠軌も、驚きを隠しきれていない様子でこちらを見ていた。




まるで今の自分たちは鏡のように見えるだろう。


二人ともまったく同じ表情をしているに違いないのだから。



「今なんと言った?」
「え? えっと・・・」



昴が視線を鈴音へと転じると、彼女は口ごもって視線を昴から逃した。
さっきの冷たい物言いが尾を引いているのだろう。
一度厳しい言い方をされると、彼女くらいの年齢の子供は萎縮してしまうものだ。

煌として作り続けた口調を恨めしく思いながら、鈴音の口を開かせるのに最も適した話題を探す。


だがそれは、さほど苦労をせずに見つかった。



「鈴音は、未音の友達なのか?」



なるべく優しい口調を作って問いかける。
優しい口調が成功しているのかはわからないが、鈴音の口を開かせることには成功した。




「未音ちゃんがね、さっきまで町に来てたの。その時にお友達になったの」
「そうか・・・。俺も未音とは友達なんだ」
「そうなの?」



鈴音の警戒心はいまだに溶けないようだ。
おずおずとこちらをうかがうような視線を向けてくる少女に、昴は内心お手上げ状態だった。

自分よりも優しげな顔をしている詠軌に任せようかとも思ったが、昴が詠軌を呼ぶよりも鈴音が口を開くほうが早かった。



「昴、って言ってたよ」




小さな手のひらを組み合わせてぽつりと呟く。
呼ばれるはずのない名前を呼ばれたため、昴の金色の瞳が大きく見開かれた。
何も言うことができずにただ鈴音を見つめると、少女はぽつりぽつりと言葉を続ける。




「未音ちゃんが連れてかれちゃう前にね、小さな声で昴って。昴ってお兄ちゃんのことなんでしょ?」



桃色の瞳が自分を見上げてくる。
疑問の形をとってはいるが、彼女が発したのは単なる確認だ。




「お兄ちゃん、未音ちゃんを助けて! お願い!」



こらえきれなくなって、昴は鈴音をふわりと抱きしめた。
さほど強い力はこめていないはずだが、昴の腕の中で鈴音はピクリとも動かない。






お兄ちゃんと、彼女は昴のことをそう呼んだのだ。





(未音・・・)



町に出たいと言った未音の心中に微かにふれた気がした。
彼女は希望を探しに行ってくれたのだ。
昴に戻ると決めた自分のために、煌ではなく昴を受け入れることができる国民を探しに。



自分にそれを言わなかったのは気恥ずかしさゆえだろうか。
それとも、自分に余計な気を使わせたくなかったのだろうか。



そこまでは神ならぬ人間である昴にはわからない。




「未音は必ず助ける」



周りに立つ大臣たちなどにではなく、腕の中の少女へと誓った。
少女の形をした希望はまだ昴へのおびえをぬぐいきれていないようだが、昴の言葉を聞いてようやく小さな笑みを浮かべた。




「ありがとう、お兄ちゃん」
「それはこっちの台詞だな」



いまや昴は完全に 『昴』 だった。
さっきまでかぶっていた煌としての仮面はどこかへ消え、ありのままの自分をさらけ出している。
大勢の人がいるところで昴として過ごすのはまだ落ち着かないが、どこかすがすがしい気持ちになった。




腕の中のぬくもりを手放して、唖然としている大臣たちの間をすり抜けて会議室を出る。
すぐにでも走り出したい気持ちでいっぱいだったが、すんでのところで踏みとどまる。




予想したとおり、背後から聞きなれた足音が聞こえてきた。



「昴!」



振り返った先にいた詠軌に、落ち着き払った召喚士長の面影はどこにもない。
彼もまた仮面をかぶっていたのだと、今なら素直に受け取ることができる。
未音が来る以前は、その仮面が彼の本来の姿だと信じて疑っていなかったが。




「深沙に行く。未音をさらったのは深沙に間違いないからな」
「私も行きます! 一人では危険です!」



天井が高い廊下に詠軌の声が反響する。
その余韻が残るうちに昴は小さく、だが断固とした拒絶をこめて首を横に振った。




「なぜですか!?」
「一人のほうが目立たない」



しかし、と言葉を続けようとする詠軌を視線で制して、昴はきっぱりとした調子で言葉を続ける。



「それに、お前にはこの国の説得を頼みたいんだ」



困惑を色濃く映して詠軌の瞳が揺れる。
それは与えられた役目に対する困惑でもあり、不可能な難題を押し付けられたときの困惑でもあった。



「昴・・・。それはあなた自身がやらなければならないのでは?」
「わかってる。最終的な決着は俺自身がつける」
「ならば・・・」



なおも言葉を重ねようとする詠軌を無視して、昴は言った。
まるで、何かの誓いをするかのように厳かな口調で。




実際、その言葉は彼にとっての誓いの言葉だった。
誓う相手は神などではない。
今はこの場にいない、大切な少女に向けての誓い。




「だが、未音を助けないと俺が昴に戻る資格はないんだ」



長い間かぶり続けていた煌の仮面を取ってくれたのは彼女だから。
無理やり召喚して、ひどい言葉を投げつけたのにもかかわらず、自分を煌という枷から解放してくれたのは彼女だから。

未音がいないところで、昴に戻るわけにはいかない。



「ストールも返さないといけないしな」



あえて軽い口調で続けると、誰よりも頼りになる幼馴染へ向けて頭を下げる。



「詠軌、後は頼んだ」
「昴・・・」



詠軌の表情がめまぐるしく変わる。
困惑しきった青年から、普段と何も変わらない冷静な召喚士長へと。
杖をしっかりと握りなおした詠軌の瞳には、昴と同じような決意の色が浮かんでいた。




「わかりました。ですが、くれぐれも無茶はしないように」
「わかってる」
「それに・・・」



決意を浮かべた瞳がためらいに揺れる。
何か言いにくいことを言わなければならないときのように、詠軌は口を開いては閉じるということを繰り返した。

だが、昴はこれ以上この場所で時間をつぶすつもりはない。
何も言わないなら自分は出かけるまでだということを、身を翻すことで示した。




背後にも注意を払いながら歩くこと五歩。
その分だけ詠軌との距離は開いていたが、彼の声はしんとした廊下によく響く。




「未音は無事です」



今まさに走り出そうとしていた昴の足が止まった。



「本当か!?」



勢いよく振り向いた昴には、鬼気迫るというような形容がぴったりと当てはまる。
だが詠軌は彼の様子には一切ひるむことなく、淡々と言葉を続けた。




「深沙にも綺羅国と同じような伝説があるのです」
「伝説? それが未音とどんな関係が・・・」





「月は太陽に――――」





まるで詠軌自身がその伝説を信じているかのように注意深く発せられた言葉に、昴は一瞬我を忘れて怒鳴りそうになった。
怒鳴る寸前で何とか自分を抑えたのは、何も怒りを押さえ込むのに成功したからではない。




「どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ」



皮肉に唇をゆがめて吐き捨てると、昴は身を翻して走り出した。






Next→


←Back




inserted by FC2 system