夕方に終わるはずだった会議は、空に星が瞬き始めた時間になっても続いていた。
隣国の行動、城下町の動揺具合などを逐一報告する臣下たちの話に耳を傾けながら、昴はいよいよ決断の時が迫っていることを理解せざるを得なかった。



深沙は確実に戦争を仕掛けてくる。



どんなに遠くとも一年以内には。



かの国はそれを可能にするだけの軍備や食料をすでに整えているようなのだ。

煌の仮面をかぶっているときの昴は、動揺を表に出すなどということはしない。
それでも小さく溜息をつかずにはいられなかった。




(どうする・・・)



正直なところ、今攻めてこられたら綺羅国が勝つ確立は皆無といっていい。
綺羅国にも、もちろん軍はある。
毎日の訓練は欠かさずに行っているし、昴自身何度か視察に行ったことがあった。
実戦経験はないが、決して弱いわけではない。






弱くはないのだが――――





(神話に頼っていては勝てない)



人は何かを守るために最も大きな力を発揮するという。
自分の命に代えても守りたいものがあれば、人は自然と強くなれるのだ。




だが、この国の人々が守りたいと思っているのは何の根拠もない神話。
そして、その神話がもたらすはずの輝かしい未来なのだ。




そんな薄っぺらなもののために死に物狂いになれるものなどいない。
むしろ人々の間には、今まで信じていた神話に対するかすかな疑いのようなものが生じ始めているらしい。

今のこの国は、自家中毒を起こす寸前だ。
外からやってくるものに対して抵抗などできるはずがない。




「いつにするべきか・・・」
「煌? どうなさいました?」



胸の内に浮かんだ言葉を小さく呟くと、昴の前に立って報告書を読み上げていた大臣の一人が心配そうに顔色をうかがってきた。
おどおどと不安げに揺れる男の瞳には、無表情を保つ自分の姿が映っている。




「一晩考えさせてくれ」



何の気なしにそう言うと、大臣の顔にかすかな驚きが走った。
彼は何とかそれを隠そうとしているようだが、その驚きは瞬く間に会議室全体へと伝わっていく。




昴にはその理由がわからない。


いくら神を演じていたとはいえ自分は神ではないのだから、重要な決定を一晩かけて考えることは今までにもしばしばあった。
今更そのことについて驚くはずもないのだが、大臣たちはどこか呆けたような瞳で自分を凝視してくる。

回答を求めて周囲を見回すと、会議室の片隅に控えた詠軌と目が合った。
彼の周りにいる召喚士たちもまた驚きの表情を隠しきれてはいないのに、詠軌だけは異なる視線を向けてくる。




呆れと非難が半々に混ざった視線を。





(ああ、そういうことか・・・)


なぜ、と思いながら自分が発した言葉をゆっくりと反芻しているうちに、ようやく昴は彼らを驚かせた理由に思い当たった。
一晩考えさせてくれ、自分は確かにそう言った。
それは、人にものを頼む口調だ。
自分を高みにおいている神であるならば、絶対に口にはしないであろう懇願する言葉。




(俺は今までなんと言っていたんだっけな)



一晩考える、という断定的な口調が今までの煌のものだったのだ。
煌として玉座についてからの十二年間、この仮面がはがれたことはない。






そのはずだったのだが――――





(俺はもう昴なんだ)



黒い女神の形でもたらされた一筋の光。
十二年間必死に守り続けてきた虚構を、彼女はいとも簡単に崩してくれた。




改めて彼女への深い感謝が浮かんでくる。



それを表に出さないように必死に押し隠しながら、昴は玉座から立ち上がった。
このままここにいたら、間違いなく自分は昴になってしまうから。

いずれは煌の仮面を捨てるつもりだが、まだその時期を計りきれていなかった。





だが少なくとも、深沙を何とかしなければならない今、余計な動揺を国民に与えるのは望ましくない。





「今日のところは解散だ。明日また・・・」
「こら!」


前触れなく会議室の扉が開いたと思うと、何か小さな影とそれを追いかける大きな影が入ってきた。
自分の言葉をさえぎられることなどめったになかったので、昴は怒るよりも物珍しいような気持ちで突然の闖入者を観察した。




先に入ってきたのは淡い桃色の髪を持つ少女。
年のころならおそらく十歳前後だろう。
まだ発達しきっていない小さな足を一生懸命に動かして、昴のほうへと走ってくる。



城の中で子供を見るなど何年ぶりだろうと、彼にしては珍しくどこかずれた方向へと思考が働いた。

呆然と立ち尽くす大臣たちの間をすり抜けて、少女は昴の前へと立つ。
よくよく見ると彼女の頭には、真っ白な包帯が巻かれている。



清潔感に溢れた白い包帯だが、それを見た昴の胸にはなんとも言いがたい不吉な予感が走った。





(なんだ・・・?)



少女が乱れた息の間から何かを口にしようとしたときに、後ろからやってきた大きな影が彼女を抱き上げた。




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