「・・・あれ?」


気がつくと眠気は去っていて、文字通り夢から覚めたような表情で未音は首を大きく振った。
景色がまわるようなこともなく、鈴音の桃色の髪もはっきりと見ることができる。
いったい今のはなんだったのかと未音がこめかみに指を当てると、安心したように微笑みながら鈴音が説明をしてくれた。



「蓮眠の花の香りをかぐとね、誰でも眠くなっちゃうの。だからね、今の季節ここに来る人はみんな飴をなめてるの」
「なるほど」


異世界に召喚されたことを実感するのはこんなときだ。
未音の世界では人を無条件で眠らせるほどの力を持つ花など存在しない。少なくとも未音は知らない。


それが、この世界では常識として受け入れられている。




「やっぱりファンタジーな世界よね」
「ふぁんたじー?」
「え・・・? ああ、なんでもない」


頭の中で考えているつもりが、口にも出していたらしい。
鈴音のたどたどしい口調からして、この世界にはファンタジーという言葉が存在しないようだ。
やはり、世界そのものがファンタジーということだろうか。



「この飴は?」


首をかしげる鈴音に、話の路線を戻すための質問をした。
ファンタジーについての説明は、また別のときにでもしてあげようと思う。


もしかしたら、鈴音にとっては未音の世界がファンタジーそのものになってしまうかもしれないが。




「この飴はね、蓮眠の蜜を固めて作った飴なの。この飴をなめてるとね、蓮眠の香りをかいでも眠くならないんだよ」
「へぇー」


もはや感心の声しか出ない。
口の中で飴を転がしながら、蓮眠についての説明を重ねる鈴音の話をじっと聞いていた。




蓮眠は主に今の季節に咲くそうだ。
他国には咲かずに綺羅国だけで花開く蓮眠は、この国の象徴にもなっているらしい。



言われてみれば、昴が仕事をしている執務室には花をあしらった分厚いカーテンがかかっていた。
あれが蓮眠の花だったのだろう。




「飴を持ってこないと大変だけど、みんな蓮眠が好きなんだよ!」
「確かに、ちょっと怖いけど綺麗な花だね」


でしょ、と元気よく頷いた鈴音の表情が曇る。
自分が何か変なことを言ったのではないかと慌てた未音だったが、鈴音の笑顔を曇らせたのはそんな単純なものではなかった。




「戦争が起きたら全部つぶされちゃうよ・・・」


憂いを瞳いっぱいにたたえた鈴音は、十歳前後とは到底思えなかった。



「・・・間違ってる」
「燐さま?」
「絶対に間違ってる!」


幸せなことを覚えるだけで忙しいはずの少女に、恐怖と憂いを教え込む。
そんなことが許されていいはずがない。
今までは漠然とした恐怖の対象だった戦争が、未音の中で具体的な怒りの矛先へと変わった。




「戦争は起きちゃいけないものだよ!」



突然口調を強めた未音に鈴音が目を白黒させている。
しきりに瞬きをする様子が、彼女の混乱をはっきりと示していた。



「だから、燐さまが戦争を止めてくれるんじゃないの?」
「・・・私は燐じゃないもの」


もう何度目になるかわからない台詞を呟いて、未音は混乱する一方の少女の頭を軽く撫でた。
この否定の言葉を理解してくれたのは、今までたった二人だけ。
一人は未音と同じ気持ちをずっと抱いていた青年で、もう一人は誰よりも青年の近くにいた親友。



目の前の少女は三人目になってくれるだろうか。



「私は篠宮未音っていう普通の人間なの。女神様の生まれ変わりなんかじゃないのよ」
「女神さまじゃない・・・の?」


うつむいてしまった鈴音の頭を優しく撫でながら、どう説明するかを考える。
言いたいことはいたって単純なのに、なかなか的確な言葉が見つからない。

鈴音に自分の思いが伝わるように、少しずつ言葉を形にしていった。


「私が本当に神様だったら、この世界から戦争をなくすことも簡単にできるかもしれない。でもね、私は神様じゃないから・・・」
「戦争はなくならないの?」


鈴音の言葉が潤んだ。
耐えかねたように桃色の瞳から涙がこぼれたが、未音には彼女の涙をぬぐってやることしかできない。



こんなとき、自分が否定し続けた燐の力がうらやましくなる。
もし自分に燐の力が備わっていれば、鈴音を幸せでいっぱいにすることができるのに。




だからといって、昴のように燐を演じるつもりは毛頭ないが。



「今すぐに戦争をなくすことはできないけど・・・」
「けど?」
「戦争をなくす方法を考えることはできる」


未音ができる精一杯の行為が考えることだった。
自分には武器を持って戦うことも、昴のような外交交渉もできない。



だが、未音はこことはまったく異なる世界に暮らしていた。
そんな自分だからこそ思いつくような解決法がどこかにあるかもしれない。



もし未音が本当の神だったら、戦争を起こして深沙を攻めることを考えたかもしれない。
深沙を攻め滅ぼすことができれば、綺羅国の将来は安泰といっていいのだから。



しかし、戦争が起きれば泣く人がいる。
神はそれを生贄として受け入れるかもしれないが、神ならぬ身の未音にとってそれは生贄ではない。
ただの、無益な犠牲だ。




犠牲は可能な限り避けるべきだった。



「そんな方法はすぐには見つからないかもしれない。でも、みんなで一緒に考えれば何かいい方法があるかもしれないでしょ?」
「一緒に?」
「そう。女神としてじゃなくて、鈴音ちゃんの友達として」


鈴音の桃色の瞳が大きく見開かれる。
彼女の小さな唇が未音の言葉をゆっくりと繰り返す。

その様子を見て、未音はわざとおどけた風に言葉を続けた。



「それとも、女神様じゃない私になんて興味ない?」
「そんなことない!」


まっすぐに未音を見つめる桃色に嘘は映っていない。
戸惑いはかすかに残っているが、未音の言葉を鈴音なりに理解してくれたようだ。



「ありがとう」



燐ではない未音を受け入れてくれたこと、未音を未音として見てくれたこと。








だが、何よりも嬉しかったのは、煌が昴に戻るための希望を与えてくれたことだった。







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