「燐さま!」


不意に耳に届いた甲高い声。
明らかに大人のものではない。幼い者特有の甲高いが、耳には心地よく聞こえる声。



人並みを無理やりかき分けて顔を出したのは、十歳ほどに見える少女だった。
桜の花を連想させるような淡いピンクの髪が、未音の意識をはるかかなたにある故郷へと引き戻す。



進学するはずだった大学の校門には大きな桜の木があった。
あの桜はもう葉桜になってしまったのだろうか。




「鈴音(りんね)!」


大人たちの間でつぶされそうになった少女を、大きな手が慌てて救い出した。
光を反射させるほどに磨きこんだ鎧が、華奢な少女をそっと抱き上げる。

それはさっきまで未音のことをひそかに護衛していたはずの兵士だった。


「父さん!」
「まったく、危ないだろう?」
「ごめんなさい」


兵士の腕に抱かれた少女が小さく頭を下げる。
叱られてはいるものの少女はとても嬉しそうで、この子は父親のことが大好きなんだなと、ろくに働いていない頭でもそう思った。


一方兵士のほうは、立ち尽くしたままの未音に慌てて膝を折った。



「申し訳ありません! 姿を見せずに護衛するというお約束でしたのに・・・」
「いえ・・・。それは、別に・・・」


ここまで目立ってしまったら、近くに兵士がいようが関係ない。
そのつもりで答えたのだが、兵士はいっそう身を縮ませた。
あっけにとられた声を、叱責の声と勘違いしたようだ。
それこそ土下座でもしかねない勢いの兵に慌てて未音が言葉を続けようとしたが、少女の甲高い声が割って入るのが先だった。



「戦争は本当に起きるんですか!?」


水を打ったように大通りが静まり返った。
燐を崇める言葉を繰り返していた大人たちは瞳を曇らせて口を閉じ、未音に向けていた視線を鈴音へと移す。



それは彼女の父親も例外ではなかった。




それだけの大人の視線を一身に受けてもひるむことなく、鈴音は未音をまっすぐに見つめている。



「戦争・・・?」
「深沙は本当に攻めてくるの!? 煌さまと燐さまがいればこの国は平和なんじゃないの!?」


幼い少女の言葉だったが、未音を凍りつかせるには十分だった。


この小さな体のどこに、そんな恐怖を隠し続けていたのだろう。
未音が彼女の年だった頃は友達と遊ぶのに忙しく、戦争などという単語を考えたことはなかった。

軽々しく戦争の可能性を否定しても意味がないことがわかったので、未音は一番卑怯な手段をとった。




沈黙を守り通したのだ。




ただ鈴音の瞳を見つめたまま、必死になって質問の答えを探していた。





「・・・起きるはずがないじゃないか」


重苦しい沈黙を破ったのは、かすかな声だった。


「煌と燐がそろえばこの国には平和と繁栄がおとずれるんだ」
「そうよ。燐が召喚された以上、戦争なんて起こるはずがないわ」


大人たちは、言葉の裏で鈴音を叱りつけていた。
子供だから何も知らずに馬鹿なことを言うのだと、間接的にそう言っている。
それは鈴音の父親である兵士も例外ではなく、彼の腕の中で鈴音がうなだれているのが見えた。




「・・・バカじゃないの」
「燐さま?」
「いかがなさいました?」


すっかり鈴音のことなど忘れたように、大人たちが未音のほうを見つめてくる。
さっきまでは視線が痛かったが、今ではそんなものは全く気にならない。




混乱が潮のように引いていって、残ったのは呆れだった。



「あなたたち、少しは現実を見なさいよ。現実問題、深沙は武器を集めてて、昴はそれに対しての備えをしてるのよ?」


未音の目は完全に据わっていた。
臆することなく居並ぶ大人たちをにらみつけ、不安を瞳いっぱいにたたえている鈴音へと視線を移す。
ピンクの髪というのはなんだか人形のようで、彼女が本当に生きているのだという実感が持ちにくい。




だが、彼女はここにいる誰よりも現実を見つめている。



「この子の言うとおりよ。昴は必死になって避けようとしてるけど、戦争が起こるかもしれない。いいえ、8割くらいの確立で起きるといっても過言じゃないのかもしれない」


いくら政治にかかわっていない未音でも、昴の様子を見ていればそれくらいはわかる。
商業の中心地であるこの町で深沙の不審な動きを知らない者がいるはずがない。
今までの深沙との関係を知っている以上、未音よりも戦争の気配を身近に感じているはずだ。




なのにこの町の人々は、その事実から眼を背けた。



神が守ってくれるに違いないと盲目的に信じ込んで、現実を見据えようとしない。


これを現実逃避と呼ばずになんと呼ぶのだ。



「こんなに小さい子はしっかり現実を見てるのに、大人たちは現実から逃げるの? しかも、責任を全部昴に押し付けて!」



未音は悔しさで涙が出そうだった。


昴が己自身さえも犠牲にして守ろうとしていた綺羅国とは、この程度のものだったのだろうか。
見たくない現実からは目をそらし、不確かな伝説にすがる。



こんな人たちのために、昴は心が壊れる寸前にまで追い込まれたのか。


そう思うと無性に悔しくてしょうがなかった。



「昴はあなたたちのために必死で煌を演じてたのに、あなたたちはその虚像があれば満足なの!?
 あなたたちには目も耳もあるのに、昴の努力を神の力で片付けて、深沙の動きは気のせいで済ませるの!?」

「燐さま・・・、いったい何を・・・」
「すばる? って誰?」



あえぐような言葉を漏らした大人たちの間で、鈴音が小さく首をかしげる。
大人たちの言葉には完全な無視を決め込んで、未音は鈴音の前にしゃがみこんだ。



正面から覗き込んでみると、彼女の瞳は髪の色よりも幾分濃い桃色をしていた。
桜の花びらを何枚も集めたときに、ぼんやりと浮かび上がる優しい色だ。



「昴はね、煌のこと。彼の本当の名前は昴っていうの」
「煌さまは煌さまじゃないの?」


桃色の瞳はどこまでも無垢だ。
未音の言葉を否定するでもなく、ただ自分の疑問を尋ねてくる。






彼女ならと思った。





闇雲に神々の伝説を信じ込んでいる大人たちは無理でも、彼女なら昴にとっての希望になりうるかもしれないと。






Next→


←Back




inserted by FC2 system