「ねえ、だめ?」

「絶対にだめだ!」


回廊を歩いていたらそんなやり取りが聞こえてきて、詠軌はわずかに表情を変えた。
普通の人が見てもまったくわからないほどの変化だが、それは表面上だけのこと。



(いったい何をしているんだ!?)


不自然にならない程度に歩調を上げ、声の出所へと向かう。
神と崇められる二人がこんな風に話を交わす場所はたった一箇所しかない。



「昴、未音!」


いまだに口になじみきっていない二つの名前を発すると、小ぢんまりとした中庭に座り込んでいた二人がはじかれたように顔を上げた。
輝くばかりの金の髪を持つ昴と、闇夜のごとき漆黒の髪を持つ未音。
二人が並ぶとちょうど光と闇がそこにあるようだが、今の二人はまったく同じ表情をしていた。




ちょうど、いたずらが見つかった子供のような表情を。



「中庭では誰に聞かれるかわからないとあれほど言ったはずですが?」
「それは・・・」
「えっと・・・」


口ごもりながら自分の顔色をうかがってくる二人は、この国の最高神とは思えない。
どこにでもいる普通の若者そのものだ。


だが、この国の多くの人々は彼らを神の生まれ変わりだと信じている。
つい先日までは詠軌自身もそう信じていた。




その信仰が崩れ去ったのも、この中庭だった。



「すまなかった」
「ごめんなさい」


まるで示し合わせたようなタイミングで、二人が同時に頭を下げた。
あまりにもタイミングが合っていたために、口にした二人が一番驚いているように見える。
詠軌の前で顔を見合わせ、耐えかねたように笑いを漏らした。


最初は控えめに、その後だんだんとトーンを上げて。
最後には中庭全体に軽やかな笑い声が響き渡った。




「煌、燐。私が言ったことを本当にわかっているんですか?」



幾分低めの声を作って詠軌は淡々と述べた。
彼らが嫌う呼び名を使ったのは、もちろん意識してのことだ。




「悪かった」
「本当にごめんなさい」


二人はまたほとんど同時に謝罪の言葉を口にしたが、今度は笑い出すことはない。
二人とも神妙な表情のまま、詠軌が口を開くのを待っている。



なぜ、自分は今まで彼らを神だと信じることができたのだろう。


彼らはあまりにも普通すぎるのに。




「わかればいいんです」


今度は逆に詠軌が笑いをかみ殺すのに必死になった。
感情を押し殺すのには慣れているはずだが、昴はかすかに眉根を寄せた。
未音はまったく気がついていないようだが、そこはやはり一緒にいる年月の差だろう。
昔から昴にだけは隠し事ができなかったことが、今更ながらに思い出された。




「ところで、いったい何の話をしていたんですか?」


笑いそうになっている詠軌が二人に説教をしようとするのは不公平というものだ。
本当ならあと二言三言言いたいことがあったのだが、それは次の機会にまわすことにした。

問いかけの目を二人に交互に向けると、昴はすねたようにそっぽを向き、未音は逆に体を乗り出さんばかりの勢いで口を開いた。


「町に行かせてって頼んでるのに、昴が全力で否定するの!」
「・・・当たり前だ」


ぼそりと呟かれた昴の言葉は未音には届かなかったようだ。
もしかしたら届いたのかもしれないが、彼女がそれを気に留めた様子はない。



「半日くらいでいいの。ほんのちょっと町を歩いて、そしたらすぐにお城に戻ってくるって言ってるのに」
「未音、それは・・・」
「詠軌まで否定するの!?」


一般的に言って女性の声は男性のそれよりも高い。
未音もその例に漏れず、この三人の中では最も高い声を持っている。
耳全体に響くその声で叫ぶものだから、昴も詠軌もとっさに耳を両手で塞いだ。






二人に言わせれば立派な自己防衛のための手段なのだが、未音にしてみれば自分の言葉を無視しているように見えたらしい。



怒りのために彼女の頬が赤く染まる。まずいと思った二人が同時に弁解のための言葉を発しようとしたのだが、わずかの差で間に合わなかった。





「どうしても確かめたいことがあるの! そのためにはどうしても町に行かなきゃ行けないの! 今、治安があまりよくないのはわかってるけど・・・、それでも・・・!」


詠軌は軽く目を見張った。
町に行きたいという未音の言葉を聞いたときに、詠軌はただの好奇心に過ぎないのだろうと思ったのだ。
本を読んで知識を蓄えるうちに、実際に町に出てみたいと思うようになったのだろうと。




しかし、彼女の様子には明らかにそれだけでは説明のできない必死さがある。



「なら理由を言えと言ってるんだ」


昴のいらだたしげな声が響いた。
金色の瞳にほんの少し冷ややかな色を浮かべて、未音に刺すような視線を向けている。



最近の昴がこんな視線を向けるのはひどく珍しい。
以前なら珍しくもなんともなかったのだが、未音と出会って以来の彼がこんな表情をするのは煌を演じているときだけだった。




そんなことを考えていると、なんだか不思議な気分になった。


煌の表情をする彼を見て違和感を覚えるなんて。


数ヶ月前の自分はその仮面にすっかりだまされたつもりになっていたのに。



「それは・・・」


詠軌が思考を漂わせている間にも、未音と昴の言い争いは続いていた。
さっきまでは攻撃に徹していた未音が、昴の追求に耐えかねて口ごもる。




そうまでしてなぜ、町に行きたい理由を隠すのかがわからない。



「昴」
「なんだ、詠軌」


不意に口を挟んだ詠軌に、昴が言外に邪魔をするなと告げている。
逆に未音からはすがるような視線を向けられているのを感じた。



いったい自分にどうしろというんだと思いながらも、詠軌は表面上穏やかな表情を保ち続けた。



「そろそろお戻りにならないと、重臣の方々が頭を抱えている頃では?」
「くそっ」
「まだ煌を演じるおつもりなら、その口調は避けたほうがよろしいかと」


あえて丁寧な口調を作って昴の表情をうかがう。
金色の瞳に不機嫌そうな色を浮かべたものの、昴は詠軌の言い分が正しいことを認めた。



「以後、気をつける」


昴が纏う空気が一瞬で変わる。
どこにでもいる普通の青年から、この国の守護神へと。
その姿を見てかすかな違和感と大きな安堵を感じる自分は、いまだに煌への信仰から完全に抜け出せてはいないようだ。

重臣たちが会議を開いているであろう広間に向けて歩き出した昴を見て、未音が大きく息を吐いた。



「未音!」
「はっ、はい!?」


安堵で体の力を抜いていた未音が直立不動の姿勢をとる。
中庭の入り口で振り返った昴は、唇を吊り上げて小さく笑っていた。



ただし、強い光をたたえる金色の瞳はまったく笑っていなかったが。



「あとで我のところまでストールを取りに来い」
「え?」


唐突な昴の言葉に未音が首をかしげる。


そういえば、以前未音がストールをなくしたと言っていたことがあった。
あれはなくしたのではなく、昴にかけてあげたのだと詠軌が聞かされたのはつい昨日のことだ。




「その時にでも、じっくり話を聞かせてもらうからな」


あくまでも煌としての口調を保ったままそう言って、昴は中庭から姿を消した。
その後ろ姿を見送ってから、詠軌は未音へと向き直った。



当面の難問は去ったが、自分にはまだ解決しなければいけない問題が残っている。








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