「ふざけないでよ!」
静かな中庭を切り裂く絶叫に、さすがの煌も立ち止まった。
まるで信じられないものを見るように、本を抱えて仁王立ちをしている未音を見つめる。
今の未音を動かしているのは強烈な怒りだった。
好意を踏みにじられたことへの怒り。篠宮未音という存在を否定された怒り。
そして何より――――煌から自分へと一方的に向けられる嫌悪に対しての怒り。
本に書かれていることを信じるなら、煌はこの国を支える優秀な王だ。
政治に対しても国民に対しても、平等な立場を貫き通している王。
なのにどうして、未音のことは否定するのだ。
「風邪引くかなって心配だったからストールかけてあげたんじゃない! それなのに何様のつもりよ!?」
「光の神が風邪など引くはずがないだろう!」
「バカじゃないの! あなた、ただの人でしょ!?」
煌の黄金の瞳が見開かれた。
何かを言いかけて口を開き、戸惑ったように口を閉じる。
あまりにも劇的な変化に、その原因となった未音もそのまま黙り込み、慌てて自分の言葉を脳裏で繰り返す。
いったいどの言葉が、煌にこれほどの変化をもたらしたのだろう。
もしかしたらとんでもないことを口走ったのかと未音が冷や汗をかき出したころには、あたりはすっかり闇に包まれていた。
暗闇に阻まれて、煌の表情を見ることすらかなわない。
いっそこのまま逃げ出してしまおうかと本気で考えていると、呆然とした煌の声が耳に届いた。
「なんで・・・・・・人間だと言い切れる?」
「なんでって、だって闇の女神って言われてるけど私は普通の人間だし。それに、あなたも普通の人間にしか見えないし・・・。
ああ、光を出せるのはすごいなって思うけど・・・神様の力ってそんなもんじゃないと思うし」
煌の声は怖いくらいに真剣だったが、未音にはその真意がわからなかった。
煌の転生した姿が目の前に立つ人物であり、燐の転生した姿が別の世界にいた未音であるとこの国の人たちは信じきっている。
だが未音は、自分が女神だとは信じていなかった。
女神らしい力など何もないのだから当然だ。
一方煌はどうかというと、こちらも何か特殊な力を持っているとは思えない。
地下書庫では光球をまとわりつかせていたが、そのほかには特殊な力などないのではないか。
現に煌は普通に政治を行っていて、何か不思議な力で国を治めているわけではないことがわかっている。
それとも、この人は自分が神だと信じきっているのだろうか。
(たぶん、そうじゃない・・・)
根拠などない直感のようなもの。
だが、未音は自分の直感を信じていた。
「俺は・・・今までずっと神として扱われてきて・・・・・・でも本当は・・・俺は・・・」
「人間でしょう!? 違うの?」
煌は未音を見ていない。
おそらく、未音の存在など忘れきっているのだと思う。
今ならあれだけ恐れていた煌からも簡単に逃げられるだろう。
しかし、未音の中に逃げるという選択肢は存在しなかった。
今の彼を見捨てて逃げたら、この人はきっと壊れてしまうから。
「俺は・・・神の転生した姿で・・・」
「でもあなた自身は神様じゃない。だから、どうしたって無理が出てきちゃうんじゃないの?」
「俺には他にどうしようもない! 神として・・・煌として生きるより他にいったいどうしろというんだ!?」
叫んだ煌の瞳には怒りにも似た光が浮かんでいた。
そう、ちょうど初めて会ったときと同じような、未音が今まで感じたこともないような圧倒的な光。
それを持つにもかかわらず、煌がまるで小さな子供のように見えた。
助けてと、暗闇の中であがいている子供。
闇の女神と呼ばれている自分は、実は彼に光を与えるために召喚されたのではないかと、ふとそう思った。
「あなたは神様じゃない。本当は、自分が一番よくわかってるんでしょう?」
「そんな・・・ことは・・・」
否定の言葉をつむぐ煌の瞳は迷いに揺れていた。
「神様として生きていたら、あなた自身は死んじゃうのよ。わかってるの?」
「だけど、ここに俺の居場所はないんだ!」
あまりにも哀しい言葉だった。
この国を支える者が発したとは思えないほどに、哀しみと孤独に満ちた言葉。
だが、同じように 「神」 の扱いを受けている未音には彼の言葉が掛け値なしの真実だということがよくわかる。
未音の話し相手は詠軌だけ。
たとえ詠軌以外の人に話しかけようとしても、深く叩頭してしまい話をすることができない。
何を尋ねても答えてもらえずに、泣きそうになったことも何度もある。
詠軌にしても、対等な話し相手とはとてもいえなかった。
どう考えても未音のほうが年下なのに、丁寧な態度を崩そうとはしないのだから。
そのため、召喚されて以来の未音は常に孤独を感じていた。
ましてや、煌はずっとこの世界にいるのだ。
彼がいつ神になったのかはわからないが、もしかしたら生まれたときから神として崇められていたのかもしれない。
神でいる時間が長ければ長い分だけ、孤独感は増していったに違いなかった。
「居場所ならあるよ!」
「どこに!? 俺は煌なんだ! 父や母でさえ俺を煌としか見ようとしない!」
「私がいる!」
中庭の空気が止まった。
すっかり暗くなった中庭に響いていた二人の声はぴたりと止まり、ゆっくりと流れていた風も完全に止まる。
耳に痛いほどの静寂が満ちた中庭で、未音はまっすぐに煌を見つめていた。
彼女は待っていたのだ。
神として生きていた青年が、人間へと生まれなおす瞬間を――――
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