のどまで出かかった質問は無理やり飲み込んだが、未音が詠軌を見る瞳には不審感が混ざり始める。

未音の表情の変化を読み取ったのか、詠軌はあわてて口を開いた。


「失礼いたしました。今の言葉にはたいした意味はないのです」
「でも・・・」
「それで、あなた様が元の世界に戻れるかというご質問でしたね」


どこまでも柔らかな口調だったが、未音の背筋に緊張が走った。

希望か絶望か。
全身を硬くして詠軌の言葉を待つ未音に届いたのは、どこか困ったような声だった。


「申し上げられません」
「は?」
「というよりも、私にはわからないのです」


予想外の答えに拍子抜けしている未音に小さく笑って見せて、詠軌は言葉を続ける。


「私どもの役目は異世界に転生するはずの女神をこちらへ呼び戻すこと。召喚した女神をあちらの世界に戻す力は与えられていません。
 ですが、女神があちらで眠りにつくことができた以上、あなた様もあちらへ戻ることができるとは思いますが・・・。
 これはあくまでも私個人の考えなので、はっきりとしたことは申し上げかねます」



ゆっくりと詠軌の言葉を頭の中でかみしめて彼の言葉の意味を理解する。
しばらく時間はかかったが、彼の言葉が絶対的な絶望を示すものではないことに気づいた未音の顔がほころんだ。



「帰れるかもしれないんですよね?」
質問の形で念を押すと、詠軌の青色の頭が肯定を示して揺れる。
飛び上がりそうになるのを抑えながら、どうやって帰る方法を探すかを考えた。



次々と頭の中に浮かんでは否定されるさまざまな案。
学校での調べ物の光景が脳裏をよぎったときに、ふと思いついたことがあった。


「・・・インターネット」
レポートを書くときなどには必ずお世話になったものの名前を呟くと、詠軌の瞳が不思議そうな色を浮かべた。


「インターネットとかテレビとかって、やっぱり無いですよね?」
「いんたー・・・ねっと?」
「やっぱり無いかぁ」


もともと期待はしていなかった。
与えられた部屋の様子や建物全体の様子から、この世界には電気が無いらしいということには気づいていたのだ。
電気が無ければパソコンもテレビもあるはずがない。



それに――――


(こんなファンタジーな世界にパソコンとかがあったら反則よね)

中世のヨーロッパに似た室内に電化製品があったら、呆れを通り越して笑ってしまう。
一人で納得して一人で笑っている未音を、詠軌の声が現実へと引き戻した。


「煌なら何かを知っているかもしれません」
「・・・煌?」
「はい。何しろあの方は、あなた様の・・・」


詠軌がなんと続けようとしたかは結局わからずじまいだった。
煌という言葉に反応した未音が、絶叫で彼の言葉をさえぎったために。


「いやです! あの人には会いたくない!」


研ぎ澄まされた怒りを未音に向けた相手。
思い出すだけでも体が震えるのに、彼に物を尋ねることなどできはしない。
拒絶という名のナイフで全身を切り刻まれるに決まっている。


怯えたように首を振る未音に、詠軌はかすかに失望したようだった。


「あなたは煌に出会うために転生したのですよ」
「そんなの知らない! だって私は女神じゃ・・・燐じゃないもの!」


未音はごく普通の人生を歩んできた。
小学校、中学校と進んで、高校で自分の夢を見つけた。
その夢のために大学を目指し何とか合格して、もうすぐ大学生になる。
きっと大学もごく普通に進級して、就職するのだろうと思っていた。



なのに、どこでどう歯車が狂ったのか。今の未音は見知らぬ世界で女神だと崇められている。


だが、たとえこの国の人全員が未音のことを女神だと思っているとしても、未音は自分が女神ではないと確信している。
女神の燐はこの国に平和と繁栄をもたらす力を持っているかもしれないが、未音にはそんな力はないのだから。


「何度も言ってるでしょ、私は女神なんかじゃない」

「ですが・・・」


困ったように顔を伏せる詠軌を責めているつもりはない。
あえて言うのなら愚痴のようなものだった。

いくら召喚士長だからといって、詠軌個人に問題があるわけではないのだから。

悪いのは伝説を信じて疑わないというこの国全体の風潮。

だが、それを言えば国の在り方そのものを否定することになってしまう。

この国の事情も知らないのにそんなことをするつもりにはなれなかった。


なので、未音はなるべくさりげなく話題を変えた。


「インターネットとかテレビとかはおいといて、調べ物ができる物とか場所とかってないですか?」
「調べ物・・・ですか?」


うつむいたままだった詠軌が顔を上げる。
未音の言葉の意味を図り損ねていたようだったが、すぐにその意味を理解したように頷いた。


「帰るための方法をお探しになるんですね」
「はい。だめ・・・ですか?」


よく考えれば、詠軌は未音を召喚した側だ。
苦労して召喚した相手が元の世界へ帰るための方法を探すといって、素直に協力してくれるのだろうか。
詠軌自身は人のよさそうな人物に見えるが、召喚士長としての彼は未音にはよくわからない。


もし断られた場合にはどうするかを慌てて考えた未音だったが、幸いにしてその考えが実行に移されることはなかった。


「調べものなら書庫がよろしいかと」
「書庫・・・?」
「はい。城の地下には書庫がありまして、かなりの数の本を保管しております。
 煌と燐の伝説を記したものから、最近の国内情勢について書いてあるものまで、種類はさまざまです。
 調べ物にはうってつけの場所だと思いますよ」



笑顔を絶やさずにそう言うと、何かを思い出したように詠軌が身を翻した。
半ば唖然として未音がその後ろ姿を見送ってから数分後、部屋に戻ってきた詠軌の手にはつややかに黒いストールがかけられていた。



「書庫は寒いのでこれをお使いください」


促されるままに受け取ったストールは持っていても何も感じないほどに軽く、さらさらとした手触りが気持ちいい。
かといってストールとして役に立たないというわけではない。
ためしに肩にかけてみると、そこからじんわりとした暖かさが全身に染み渡っていった。



書庫までご案内しましょうと言って、詠軌が扉に手をかける。

その後ろ姿に、未音は尋ねずにはいられなかった。


「どうして、ここまでしてくれるんですか? 私のことを女神だって言うくせに、帰る方法を探したいって言ったら協力してくれて・・・。
 もし私が帰ることができたら、召喚士長としてのあなたは困るんじゃないの?」



そのとき詠軌の顔に浮かんだ表情の名前を未音は知らない。
笑っているような、泣いているような。困っているような、楽しんでいるような。
そんな、複雑な表情だった。


「あなたとよく似ている方を知っているから・・・かもしれません」


自分とよく似ている人という言葉が少し気にはなったが、未音は黙って詠軌のあとに続いた。





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