本を膝の上に広げて、ぼんやりと空を眺めていた。
静寂に身を任せ、流れていく雲をなんとなく目で追う。そのうちにだんだんとまぶたが重くなってきて、未音は慌てて首を振った。
それでもしつこくまとわりつく眠気に、いっそ眠ってしまおうかと思ったとき、不意に中庭の静寂が破られた。



「煌! お待ちください!」
「深沙 (しんさ) はいかがなさいますか!?」
「かの国に攻め入られましたら、わが国では対処しきれません!」


いくつもの声が近づいてくる。
声の主たちが中庭に入ってくるかもしれないと思ったときに、未音はさっきまでの眠気が嘘のようにすばやく動いていた。



本を抱えたまま、隅にある大きな木の後ろに身を隠す。
別に、未音が中庭にいるのがばれたら困るわけでもないのだが、燐としての意見を求められたりなどしたらたまったものではない。


息を潜めてじっと様子をうかがっていると、ひときわ若い声が中庭に響き渡った。


「臆するな! かの国が攻めてくる前に、最低限の軍備をそろえるのだ」
「最低限・・・と申しますと?」
「民の徴兵、食料の確保。それに、武器をそろえるのだ。わかったか!」
「かしこまりました、煌」


ばたばたとお世辞にも優雅とはいえない足音が遠ざかっていく。
中庭に完全な静寂が戻った頃、一人残る形となったこの国の最高権力者は、未音が隠れている木のほうに向き直った。



「未音。いるんだろ?」


纏う雰囲気も口調も、さっきまでとはまるで別人だ。
たとえるならば、研ぎ澄まされたナイフが温かな毛布に変じたよう。
何度か目にしている変化だが、そのたびに未音は感嘆の声を漏らしていた。



木の陰から顔をのぞかせて、半ば呆然と言葉を発する。


「昴ってやっぱりすごいわ」
「何がだ?」
「煌として過ごしてるときって、本当の神様みたいに見えるもん。しゃべり方とかも普段と全然違うし」


未音はしきりと感心していたのだが、それに答える昴の声はどこか苦味を帯びたものだった。


「そりゃ、十二年間も煌として生活してきたんだ。誰だってこうなるさ」
「えっ、あっ・・・ごめん」


思い出したくない過去を無理やり思い出させてしまった。

昴にとって煌として過ごした十二年間が、幸せな時期ではなかったとわかっていたはずなのに。




うつむいて唇をかみ締めていると、頭に何か温かなものが触れた。


「気にするなって」


微笑んで、そっと頭を撫でてくれる。
まるで、頭に全神経が集まったような気がした。



昴が直接自分に触れていることが恥ずかしくて、でもそれ以上の嬉しさが未音を満たす。





煌の仮面をはずした昴と過ごす時間が、最近の未音にとって最も幸せな時間だった。





「そういえば、しん・・・さ? って隣の国でしょ?」
「よく知ってるな」


未音の頭から手を離した昴が、意外そうに目を見張った。
本で読んだから、と短く答えて未音は昴を見つめた。


あからさまな不安を隠しきれている自信がない。



未音が深沙について持っている情報は、そう多くない。
現在の政治情勢について書いてある本で何度か名前を見た程度だ。



だが、その数少ない情報のすべてに共通していたのが、綺羅国と敵対関係にあるという事実だった。


「戦争になる・・・とか?」
「避けるように努力はしてきたつもりだが・・・。どうやら無理みたいだ」


未音が本で読んだ限り、昴はできる限りの努力をしていた。
条約を締結したり、戦争が始まったときに備えて武器を調えたり。



しかし、昴――――正確に言えば、光の神の転生した姿である煌――――に頼りきっている綺羅国は脆い。


万が一、昴が戦場で命を失うようなことがあれば、すぐ深沙に全面降伏をするだろう。






それほどに、『煌』 の存在は絶対なのだ。





「戦争・・・か」


歴史の授業でしか聞いたことのない単語が、すぐ近くにまで迫っている。
もちろんまだ直接的な動きは何もないが、城には戦争に怯える人々からの質問が殺到しているそうだ。



その対応に追われて、昴が中庭で過ごす時間も日に日に減っていた。


「結局、未音を巻き込むような形になってしまったな」
「え?」


未音を見つめる金色の瞳は、苦渋の色に満ちていた。
それを見ている未音のほうが胸が痛くなってくるほどの、深い悔恨の色。



「未音の世界には戦争はないんだろ? 平和な世界に生きていたはずの未音を無理やりこちらに呼び寄せて、俺の国の戦争に巻き込んだ」
「そんな・・・」


否定の言葉をつむごうとして、そんなことをしても意味がないと悟った。


どんなに隠そうとしても、未音の中には戦争に対しての恐怖心が確かに存在する。

今暮らしているこの城も戦火に見舞われるかもしれないという恐怖。
意識したことのなかった死が現実に迫っている恐怖のために、夜中に飛び起きたことも一度や二度ではない。



そんな状態の未音には、昴の言葉を否定することなどできなかった。


弱い自分に嫌気がさしてくる。
ここで自分の恐怖を押し殺して、彼の言葉を否定できたらどれだけいいだろう。



「ごめん、昴」


せめて恐怖にゆがみそうになる顔を見られないように、唇をかみ締めてうつむく。
昴もただ黙って未音を見つめていた。






重苦しい沈黙を先に破ったのは昴だった。








Next→


←Back




inserted by FC2 system